二十億光年の孤独
A5/24P/コピー/100円
自称火星人仁王と一般地球人丸井のボーイミーツボーイな話
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[クラスメイトは火星人]
ある日の午後、屋上への扉を押し開けると、クラスメイトが宇宙と交信していた。
もちろん丸井は一目でそう理解したわけではない。扉を開いたとき、目に入ったのは陽に透けた銀髪で、その特異な色は丸井にとって珍しいものではなかった。どちらかといえば散歩がてら探していた色だった。
一年生の頃から部活が一緒だった仁王はあまり部活の出席率が芳しくなくて、三年生でクラスまで一緒になってからというもの、仁王の姿が見当たらないとなぜか丸井に冷ややかな視線が刺さるようになってしまったのだ。別に丸井は来たくない奴は来なければいいと思っていたけれど、周囲にそのような視線を投げかけれられることはあまり居心地が良くなかったから、面倒でない範囲で丸井はそれとなく仁王を部活へと誘った。だから、屋上の端で輝く銀髪を見たときは、どこかホッとしたような気持ちだった。
「サボり魔はっけーん」
軽薄な声でそう言った。仁王は僅かの間体を揺らし、それからギギギ、と音でもしそうなほどぎこちない動きで振り返った。その表情は明らかな驚きに満ちていて、それを丸井は不思議に思った。どうしてか仁王は両手を空へ向かって伸ばしていた。
「なして……授業中じゃろ」
「お前もだろぃ」
仁王の狼狽はらしくなかった。いつだって人を喰って馬鹿にしているような仁王だ。今更サボり現場を押さえられたくらい、それがなんだというのだろう。
「何してんの?」
口をついたのは素朴な疑問だった。
「……交信」
歯切れ悪く、仁王が答えた。
「は?」
「交信、しとる」
嫌な予感がした。
未知との遭遇、というほどではない。けれど、きっと丸井が思いつきさえしないようなことをこいつは口にする、そんな気配があった。
「……どこと」
「ふるさと」
「ふるさと?」丸井は首を傾げる。「どこ?」
「火星」
少しの間も空けずに仁王は答えた。それは、丸井が見知らぬ誰かに出身地を聞かれたとき、神奈川だと答える率直さと全く同じであった。
――出たよ、電波。
丸井にとって、仁王との付き合いは長いわけでも短いわけでもない。大して深い理解も持っちゃいないが、仁王の口にすることが大抵ロクでもないことくらいは知っていた。仁王は普通であることが悪だとでもいうように、不可思議な発言を繰り返しては周囲に首を傾げさせている。中学生には少なからずこういう者が存在する。あからさまに奇異な髪の色も、おかしな方言もきっとその一部だ。それが思春期特有の拙い自己表現の発露であるのか、それとも不安定な自己模索の過程であるのか、どちらにも身に覚えのない丸井にはわからなかったけれど、仁王はとにかく、そうだった。
「あー……そうなんだ」
どうしたもんかな、と、両腕を降ろした仁王の隣に立って、フェンス越しに外を眺めた。授業中の学校は静まり返り、誰もいないグラウンドの向こう側にもやはり静かな住宅街が広がっていた。更に向こう側には海があって、水平線が緩く弧を描いている。晴れた日の、凪いだ海だ。世界は眠くなるくらいに平和だった。
「案外近いんだな」
暇つぶしくらいにはなるだろうか。そう思って、話を合わせてみる。
丸井は同級生と過ごすとき、取り立ててわがままで自己中心的な己を隠さない。それは例えば常日頃から行動を共にしている幼なじみの前では殊更際立ったし、それが丸井の本質だと思っている人間は一定数存在するだろう。けれども、丸井にはどうしようもなく父性があった。幼い弟達の面倒を見るうち自然と身についたその一面は、例えば彼が後輩の前でそうあるように、不思議な発言を繰り返す仁王の前でも発揮されることがある。つまり、弟との戦隊ごっこで悪役を演じるように、仁王の設定に付き合ってやらなければならないと、半ば義務的に思ってしまうのだ。もちろんそんな義務なんてどこにもない。
「ほんにそう思う?」
仁王の声に振り返ると、存外真剣な表情が丸井を見つめていた。丸井は単なる戯れのつもりだった。
「思うよ」
水金地火木土天海冥。頭の中で、理科の授業で習った呪文を唱えてみる。地球と火星はお隣さんだ。丸井は理数系の科目が苦手だったけれど、地学はマシな方だった。苦手な数式が出てこないから。それに、ただ夜空に羅列されているだけの星を繋げて名前をつけるような人間のロマンチストさは、案外悪くないものだ。
「だってお前なら、どこか聞いたこともない星系のプピーナ星とか言いそうじゃん」
「俺も、その方が俺らしいと思うけど、違うけえ仕方ないぜよ」
大真面目に仁王は溜息を吐いた。それがなんだかおかしくて、丸井はもう少し仁王に乗ってやろうと思った。
「なあ、火星ってどんなとこ?」
「地球と似たようなもんぜよ。人がおって、家族がおって、街がある」
「賑やかなんだな」
少しだけ沈黙が降りて、仁王はいいや、と首を振った。
「寂しいところぜよ。緑も無いし、人は地下にしか住めん。地上は、石と砂だけの、なんの色気もない星じゃ」
丸井はそれを聞いて、遠い昔、子ども向けの図鑑で見た嘘か本当かわからないような火星の写真を思い出した。白黒の荒涼とした写真の横に、赤茶けた地表、穴ぼこだらけのイラストがあった。そこにはイカのようにたくさんの足を持った奇怪な生物が描かれていて、ワレワレハウチュウジンダ、と吹き出しに書き込まれていた。
「火星人って、二足歩行なんだ」
幼い記憶を辿りながら、ふと尋ねてみる。仁王の足はたったの二本、踵のつぶれた上履き越しに、しっかりと地面を踏みしめていた。
「郷に入っては郷に従え」借り物の言葉のように、ぎこちない発言で仁王が言った。「地球人に化けるのは火星人の基本ぜよ」
「じゃあ本当は仁王ってどんななの」
「それは見せられんのう」
なんだよそれ、と笑って、丸井はフェンスを背に座り込んだ。変わり映えのしない景色は退屈だったし、今さら授業に戻るのも億劫だった。
「なあ、交信、続けろよ」
「無理。もう接続切れたけえ」
「もっかい繋げばいいじゃん」
「そない簡単なもんやないぜよ。次繋がるまでは一ヶ月ほどかかるかのう」
「まじで? 俺すげぇ邪魔したじゃん」
「そうぜよ。じゃけえ、残りの時間は付き合ってもらうけえの」
「んだよそれ、わけわかんねえ」
笑う丸井の横に、仁王も腰を下ろす。フェンスへ背を向けたって、青空はすっかりと頭上に広がっていた。
「何話すの、火星と」
「そりゃあ地球の機密情報を、色々と」
「スパイってやつ? やっべ、俺お前のことやっつけた方がいいのかな」
戯けて仁王のみぞおち辺りへ水平チョップをかます。やめんしゃい、と言って仁王は笑った。
仁王曰く、地球にやってくる火星人はそう珍しくないとのことだった。一度紛れ込んでしまえば同族でも区別はつかないが、毎年多くの火星人が宇宙船に乗り込み、地球を目指すのだという。
「ネリリ、キルル、ハララ」
火星の話を聞いていると、不意に仁王が呟いた。
「なに、それ」
「火星語」
どこかで聞いたことがあると思った。どこで聞いたのかはさっぱり思い出せない。
「どういう意味だよ」
「それは言えんのう」
「またかよ」
言えないんじゃなくて、わかんないんだろぃ。そっと丸井は毒づく。電波ぶるならもっと徹底的にやればいいのに。火星語の辞書を作ってしまえるくらいに。
放課のチャイムが鳴り終わるまで、仁王は自分が火星人だと言って憚らなかった。丸井としては、途中から面倒くさくなっていたのだけれど、他に話すべきことも特になかったので、適当に笑って流した。春の盛りの頃だった。
[火星人と在る日常]
それで、自分は火星人だと大真面目に言ったクラスメイトは、同級生と机を並べてノートを取ったり、ラケット片手に汗だくでコートを駆け回ったり、後輩にくだらないペテンをかけたりしていた。それまでと全く変わらない、平和な世界の平和な日常が、やってきては過ぎていった。
仁王はときどき火星の話をした。それはいつかのように屋上で授業をサボっているときであったり、コートの隅で順番待ちをしているときであったり、コンビニの前に座り込んで買い食いをしているときであったりした。部活のメンバーの噂話や、つまらない授業をする教師への愚痴や、クラスで回ってきたアダルトビデオの感想や、そういった他愛ない話と同列に、火星の話題が混じった。
「仁王さあ、なんで地球に来たんだ?」
いつまでこの設定をひきずるつもりなんだろう。そんな風に思いながら、話半分で付き合う丸井の中でも、その話題は次第に日常へ溶け込んでいった。
「姉貴に連れてこられた」
明らかな格下相手との練習試合は最初のチーム戦以外出番がないのがいつものことで、彼らは慣れないコートのフェンスに凭れ、暇を持て余していた。
「ふうん。無理矢理、っつうか、嫌々?」
「そうでもないぜよ。地球は、火星人の憧れじゃけえ」
憧れ。くすぐったい言葉だ。地球は、宇宙史上稀に見る好環境だと授業で聞きかじったことはあるけれど、生まれてこの方地球しか知らない丸井には理解できない感情だ。
「まあ、一生に一回くらいは、俺も行ってみたいかもしんねぇな、他の星」
メンバーを総入れ替えしたって立海の圧倒的有利は変わらない。三つ目のセットが終わり、相手のスコアボードには三つ目のゼロが並んだ。公式戦ならばこれでゲームセットだけれど、きっちり最終セットまで回すらしい。次のプレイヤーがコートへ入る。
「これ」
「ん?」
つまんねえ、そう思って、ガムを膨らます丸井の前に、緑色の球体が差し出された。丸井もよく慣れ親しんだ、よくあるテニスボールだ。
「何?」
「テニスボールぜよ」
「……見りゃわかるけど」
意図が掴めないでいる丸井に薄く笑って、次の瞬間仁王はボールを手放した。
もちろんボールは落下する。特別に初速度も与えられない球体は、力なく、けれど確実に自由落下の加速度を得て地面へと向かっていく。地面にぶつかったとき、テニスボール特有の高い弾性率が功を奏して、まずボールは丸井の腰のあたりまで跳ねた。それから、段々と高さが衰えていき、遂には地を転がり、止まった。
丸井はその一部始終を目で追い、ボールが止まって十分に時間が経った頃、仁王を見た。なんなんだ、と言うように。同じようにボールを追っていた仁王の視線も返ってくる。その口元が、にやりと歪んだ。丸井はそれを不快に思った。
「……なんだよ」
「おまん、ボールが地面に向かって落ちるのは当たり前と思っとるじゃろ」
「そりゃ、まあ」
ボールが地面に落ちるものでないのなら、そもそもテニスなんて競技は成り立たない。どんな強打でも、裏をかいたボレーもロブも、まずは相手のコートに落ちなければ話にならないのだ。
「これはな、ボールと地球が引き合って、初めて成り立つ動きぜよ」
万有引力、と続けて仁王は言った。聞いたことがあるような、ないような。丸井は首を傾げた。
「万有引力は、色んなものに働いとって、例えば地球と火星も引き合っとる」
コートからはラリーの音が聞こえていた。ラケットの奏でるインパクト音、誰かがコートを踏みしめる音、ボールが地を打つ音。
「それがなに?」
「火星人が地球に来たがるんも、地球人が他の星に行きたがるんも、そういうことぜよ」
「ばんゆういんりょく、ってやつ?」
「うん」
仁王の隣に並ぶようにして、丸井はコートへ向き直る。後輩の打った打球が、美しい放物線を描いて地面へ吸い込まれる最中だった。大学時代に物理を専攻していたとかいう理科一分野の教師が、君たちのやっているテニスは、物理学の証明に近いといつか言っていた。
「なんもかんも、孤独じゃけえ。星も、人も、ボールも、全部。寂しさに耐えられんけえ、みんな引かれ合って、世界になるんかもしれん」
「ふうん」
むずがゆい話だった。孤独なんて感じたことはあんまりない。周りには生まれたときから温かい家族がいて、友人がいて、それが当たり前だった。
「仁王っていつもそんなこと考えてんの?」
「そんなことって?」
「ボールが孤独とか、そんな」
仁王はしばらく考え込むような素振りを見せ、それから中途半端に頷いた。
「考えとることもあるし、考えんこともある」
わかるような、わからないような。仁王らしい返答だ、と思って、ところで仁王らしさってなんだろう、と考える。髪の色がおかしくて、変わった方言を使っていて、詐欺師だと自称していて、こんな休日に出てくる程度にはテニスが好きで、火星人だと言っている。
変な奴。改めて、そう思う。そして、どこまで本気かわかったものではない言動に交じる真摯な響きが、ときどき怖い。