お題「来世は他人がいい」
物心つくまで認識していた人間の顔はたったの四種類だ。父と、姉と、無数の戦士たちと、それからおれたち。
おれたちって言ったって、お互い見分けくらいはついていた。気がつけば髪型は違っていたし、たった四人の兄弟で明確なヒエラルキーだってあった。おれたちは間違えることなく互いの名を呼び、家臣の誰かが誰かを呼び間違おうものなら寄ってたかってぶちのめした。
でも考えてみてほしい。同じ日に生まれた同じ顔が四人だ。受ける教育だって同じだ。
だがそうだな、サンジだけは除外しておこう。あいつは弱虫で、泣き虫で、ジェルマの面汚しだった。紛れ込んだ異物を免疫機構よろしく追い出したおれたちは、分裂したあとの細胞みたいにくっついて周囲に持て囃されバカ笑いしながら生きてきた。
その中でも本当のバカに育ったのがヨンジだ。間違えないでほしいがおれは決してあいつを嫌っちゃいないむしろ愛している。正しく弟へのそれだ。単純にあいつがバカってだけの話だ。
つまり残ったのはイチジとおれ、おれはずっとイチジとおれの違いがわからないでいて、イチジもわかっちゃいないしわかる必要もないと思いこんでいた。
「おれをバカだと思うか?」
「さあな」
だだっ広いリノリウムの床、白と黒の幾何学模様が広がるイチジの部屋。淡々と、まるで人を殺すように反復運動を繰り返すイチジの背中を見ていた。背負った重りが背筋を盛り上がらせて大したもんだなと思う。おれにはおれの背中が見えない。
「長い間、おれとお前の違いがわからなかったんだ、おれは。バカだろって言ってんだ」
「お前がそう思うなら、バカなんじゃないのか」
「お前がどう思うかって聞いてんだよ。おれとお前の違いを、お前は説明できるか?」
見えるはずもないのに大仰にワイングラスを掲げて言った。いくら飲んだって酔えないのに夜になったら酒が恋しくなるのはどういう仕組みなんだろうな。
「おれはおれでお前はお前だ。こうして会話が成り立っているのが証拠だろう」
少しも振り向かず、一切のリズムを崩さない反復運動を続けるイチジが苛立たしい。試しにグラスを投げ捨ててみたけれどなんの反応もない。バリン、と乾いた音だけが響く。
「他人ってのはもっときっちり分かれてるもんだ」
立ち上がって近付くおれの気配なんてイチジには目で見るよりもはっきりわかっているだろう。おれたちは戦争屋だ。職場はいつだって戦場のど真ん中、そんなところで身ひとつ乗り込んでいくんだ、正気の沙汰じゃない。でもまだ生きてるから世界はカスなんだ。
「こっち見ろよ」
腕を掴み、力任せに引くと何キロあるかわかったものではないバーベルが派手な音を立てて落ちる。床が割れたかもしれないけれど知ったことか。
振り向いたイチジのサングラスをはたき落とす。現れるのはおれとまったくおなじ瞳だ。まるで鏡のように。けれどその瞳に温度はない。
「なんだ」
金属みたいな瞳が問う。
「なんでもねえよ」
そう言って勢いよく口付けると硬い打撃音が響いて少し血の味がした。
いつからか戦場でイチジは何の表情も浮かべなくなった。悦ぶわけでも苦しむわけでもなんでもない、なにひとつ読み取れない鉄仮面で淡々と人を殺す。そのくせときどき見境がなくなってクライアント側の人間にまで手をかけちまうおれを止めたりする。おれはその度激高したもんだ、いいところだったのに邪魔するなってな。そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 協定違反だ、殺すべき相手は反対側にまだいくらでもいる、だとよ。そして振り返って虐殺を再開するんだ。
心底狂ってやがる。おれはそう思ったよ。そしてそう思った瞬間、誰よりもイチジを愛おしいと思ったものさ。
「なんか言えよ」
「なにを言って欲しい」
「わかるわけねえだろ、バカか」
毒づくおれを一瞬だけ睨み、それから諦めたような溜息を吐く。許せなくて殴りたくてもう一度口付けた。なんだってわかると思ってたんだ、お前のことならなんだって。
おれたちはいつか正しく地獄へ落ちるだろう。罪の意識なんて欠片もないが、読み漁ることを強要されたいくつもの書籍が物語っている。おれたちは一緒に地獄へ落ちる。
だがどうだろう、もしも生まれ変わりなんてものがあるのなら、来世はイチジと他人がいい。他人で、戦場で敵同士なんて最高だ。そしておれはイチジに殺されるのさ。ああおれたちはまったくもって他人だ、愛してるぜイチジ。そう高笑いしながら死んでやる。