即興小説ログ「紅と緑」※お題:緑のわずらい
漸く鼻が麻痺して血の匂いを感じなくなった頃、次に周囲を包んだのは人の肉が焼ける匂いだった。
敵のアジトを跡形もなく消し去るという任務は、生け捕り対象も引き出すべき情報もなく、分類としては楽な方だ。
「二十三分。思ったより早く終わったねえ」
「どれくらいを想定してた」
「バレなければ十分、バレたら三十分というところかな」
いきなり火を放って敵が散り散りになると面倒だから、そんな理由でまず構成員全員の動きを止めようと言い出したのは太宰だ。動きを止めるという点において中原の異能を使わない手はない。本当は気取られないよう全員に異能を発動させるつもりであったが、相手だってプロだ。途中で戦闘になって無駄な血を流してしまった。どうせ焼いてしまうのだから無駄でしかない。それは中原のプライドを傷つけた。
「あー……悪かったな」
作戦内容を反芻して、中原からぽろりと謝罪が漏れる。
「どうしたの中也、素直だと気持ち悪いよ」
「手前! 人が謝ってやってんだ額面通り受け取りやがれ!」
激高をものともせず、目の前で何人もの人間が燃えているというのに緊張感のない笑みを浮かべる太宰の頬は、誰のものかわからない血でべったりと濡れていた。アジトを燃やす炎が揺らめきを落とし、それもまた紅い。
「いいじゃないか。任務は完遂できたんだ」
そう言って太宰は背を向けた。
「おい、後処理は」
「検分なら後から別の部隊がくるよ。私たちはすぐに離脱するよう指示されている。聞いていないのかい?」
スタスタと、決して振り返ろうとせず、現場を離れていく。中原も溜息をひとつつき、後を追った。ずっといたい場所ではもちろんない。
今回の現場は郊外の山の中にあって、なるべく悟られないよう車は麓に置いてきた。往路は見張りやトラップに気を配らなければならなかったから気を張っていた。
作戦を遂行したあとの復路とあれば、気にするものは何もない。それでも足音を立てずに歩いてしまうのは、職業病だろうかと中原は自嘲する。
「静かだな」
「そうだね」
彼らは目を合わせず、一定の距離を保って麓を目指していた。相棒ではあるが友人ではないし、隙あらば死んでくれと互いに願っている、いつもの距離だ。
言葉少なな彼らに流れ込んでくる音は、木が風に揺れる音、遠くで鳴く鳥の声、姿は現さないけれど確実に存在を主張する虫の羽音。鼻の奥にこびりついた血や肉の臭気が少しずつ抜けていき、代わりに入ってくるのは、あまり慣れない自然の気配だ。
「土の匂いだ」
「珍しいかい?」
「手前もだろ」
「まあね」
任務のあと、彼らは言葉少なになる。
始めのうちは多弁だったかもしれない。息の合った作戦が功を奏したときは達成感すらあったように思う。どこか誇らしいような気分で、互いの良かったところ悪かったところを、軽口を織り交ぜながら帰り道の話題にしていた。
「手前、今日何人殺った」
試しに中原は聞いてみる。
「さあ。焼いてしまうから、数えてないなあ」
天気の話でもするような口調で太宰は答える。
――人の命は、軽いもの。
太宰と中原の人生はそんなところばかりに共通項がある。物心つく頃から人の死ぬ風景は日常茶飯事だったし、誰も人を殺してはいけないなんて教えてくれなかった。生きるために殺し、奪い続けてきた人生だ。今でこそ大きな組織である程度の地位を持っているけれど、何もなかった頃は、空を見上げる暇さえなかった。
「あのアジト」
「ん?」
「こんな山の中で、自然だけがあって、生きるような、そういうのもあんだよな」
これ以外に生きる道なんてなかった。光を知らず、ぬくもりを知らず、駆け回るのはいつもコンクリートジャングルで、安らぎなんて無縁だった。
「今日はおセンチさんなのかな、中也は」
「うるせえ」
緑に囲まれたコテージ、近くには湖があって、いつも静かな風が流れている。ささやかな畑で採れた米や野菜を食し、一日が終わっていく。太宰と二人、そんな風に生きれたら、もう少し彼を好きになれるだろうか。
「……ねえな。反吐が出る」
「何か言った?」
「何も言ってねえよ」
そのまま黙って麓を目指す。頬が汚れている気がして手の甲で乱暴に拭った。まだ乾ききらない返り血が目に入り、舐めたら鉄の味がした。