絶頂を迎える瞬間、悦楽とともに少しの後悔がいつも彼を襲う。彼は自尊心が高かった。種の保存、人間の本能、けれどそれはとても低俗な行為である気がして、その最中彼には常に吐き気が伴った。
 最後の一滴まで注ぎ終えて、彼はゆっくりと腕の力を抜いた。腕の中の女は快楽に身を任せ、目尻のあたりには涙が溜まっていた。
 女にひとつ口付けを落とし、彼はその隣に横たわった。窓の外は暗かった。この星に月はない。
 「ベジータ」
 女は彼の名を呼ぶ。彼は答えない。
 「ごめんね」
 それはうわごとのようだった。彼は女を見る。女は微笑みながら泣いていた。

夜と朝の狭間、生と死の境界

 明日、という言葉がある。昨日があって、今日があって、明日が来る。それでは、彼は思う。こんなふうに、夜と朝のちょうど真ん中にいるとき、それは今日なのだろうか。明日なのだろうか。
 時計の針が12を超えるとき、日付が変わる。でもたぶん、そうじゃない。機械的な今日は12時になる前で、機械的な明日は12時を過ぎたときなのかもしれないが、このような午前3時、自分はたぶん今日でも明日でもない時間を生きているのだろう、と彼は思う。昨日と今日と明日はつながっている。昨日と今日と明日を分けるのは人間の自己満足で、本当はそんなことに何の意味もない。朝が来て、昼が来て、夜が来る。同じ繰り返しに飽きないように、巻き込まれてしまわないように、前のサイクルと次のサイクルに違う意味を与える。
 昼のない星を、彼は知っていた。夜のない星も知っていた。誰も住めない、値段のつかない星々。

 隣の女を見遣ると、すでに眠りの中にいた。
 妙なことになったものだと彼は思う。この星は美しいと思う。さっさと掃除をすませれば高く売れることだろう。けれどもうそれを仲介してくれる組織もなくなってしまった。あの独裁者からの独立は長年の夢ではあったけれど、フリーの地上げ屋になる気はなかった。正直なところ、あまりに現実的でないその夢の先を彼は何も考えていなかった。
 この土地に初めて足を踏み入れてから、既に2年の時が流れていた。故郷以外でこんなにも長居した星はここが初めてだった。宇宙に戻りたければ、その方法はないわけでもなかったが、宇宙へ出たところで帰る場所も行きたい場所もなかった。少なくともここにいれば乗り越えたい目標もあったし、衣食住にも困らない。長年自分を苦しめてきた存在がなくなることで、かえって彼の存在はあやふやになってしまった。生きることに意味など求めても仕方のないことはわかっていたが、存在の理由は欲しかった。
 結局彼は戦うことにした。彼の生きてきた30年余りの中で、それだけが得ることのできた生きる糧だった。戦う相手など、たった一人の同胞でも、人造人間でも、何でもよかった。強くありたい、とそれだけを思った。強さだけが自分の存在を許してくれる、そう思った。

「心配しないで、あたしはあんたに何かを望んでるわけじゃないんだから」
 初めて体を重ねた後、女は言った。それはとても衝動的で、短絡的な始まりだった。そこに女がいた、それだけだった。
 たしかそのときも、彼は思い出していた。そのときも、女は微笑みながら泣いていた。その表情を見て彼はひどく困惑した。それはいつもの女の見せる表情とかけ離れていたからかもしれないし、行為の最中彼の中にあった少しの罪悪感のせいかもしれなかった。
 この関係を、どう表現すればいいのかはわからない。もう1年近く続いている。
 「きっと、お互いに利用してるだけなのよね」
 いつだったか女は呟いた。きっとそうなんだろう、彼も思った。

 隣で安らかに眠る女に苛立ちを感じることがある。彼さえその気になれば、きれいに卵を割るよりも簡単に、その命を終わらせることができる。彼の圧倒的な力を知っていて、それでも女は安心しきっているように眠るのだ。彼は女の隣でなど深く寝入ることはできずにいるのに。
 「あんたはあたしを殺さないわ。そんなことしたってあんたにとって何の意味もないし、どっちかって言えば損失のほうが大きいんじゃない?」
 からかうようにそう言って笑った女を、心の底から憎らしいと思った。
 たとえば、彼は思う。たとえば、今隣に眠る女を殺したら、自分はどんな気持ちになるだろう。
 他人を殺すことで何かの感情が起こったことはあまりない。自分より上だった存在を消すことで、強さへの渇望が一瞬満たされ、それによる歓びは味わったことならある。しかしひとつの命を消す、それ自体には大して興味がわかなかった。無抵抗な民衆を虐殺しているときだって、彼は何も感じなかった。ただ自分が生きているという実感のみがその手の中に残った。
 ならば、この目の前の女はどうか。
 1年近くこのような関係を続けてきて、それでも他の地球人と女を同等と見ているかといえば、それはたぶん嘘になるであろうことには彼も気付いていた。それは好意とか特別な存在とか生温い意味ではなかったにせよ、女の存在は彼にとって小さくはない。
 その存在を、自らの手で消せば、どうなるか。
 今まで、彼は殺すことによってのみ自信の存在を確認してきた。それだけが彼に生を実感させていたといってもいい。彼の生は絶対的な死によってのみ成り立ち、圧倒的な恐怖と苦悶だけが彼に歓喜と快楽を与えてきたのである。
 この、自分の中で小さくない存在を殺せば、薄れゆく生の実感は他の殺戮よりも大きなものとなるのではないか。
 彼は安心しきって眠る女の首元に手を這わせた。このまま力を入れて、首の骨を折ってしまえば。…いや、それでは足りない。徐々に力を入れて、気道を塞ぎ、悶え苦しむ姿をこの目で見なければ。絶対的な征服感、女の命を握っているという事実。
 少し手に力を加える。そのとき予期しないことが起こった。
 「…殺したいなら、殺していいのよ」
 それであんたが満足するならね。女が小さく、けれどはっきりとそう言い放った。
 「…起きていたのか」
 手はゆるめずに彼が言う。
 「あたしは、あんたを苦しめてるんでしょう?」
 その言葉に、彼は衝動的に女の首の骨を折ってやりたくなった。二度と意味ある言葉をつなげなくするために。
 「…自惚れるな」
 けれど彼はそうしなかった。チッ、とひとつ舌打ちを残し、女の首元から手を離して立ち上がる。
 「どこ行くの?」
 「貴様には関係ない」
 そう言うと彼は後ろも振り返らず、窓辺から月のない空へと飛び立っていった。

2008.10.17