エアタクシーはどういうわけか建物よりも高くは飛ばない。宮殿やいくつかの軍関係施設の間をすり抜け、窓の外にはアルケイディスの摩天楼が過ぎ去っていく。
 「王よりも高い場所を飛ぶわけにはいきませんから」
 運転手はシーク族だった。ここ数ヶ月でアルケイディアにはヒュム以外の職業人が増えたと特に嬉しそうでもなくその運転手は語っていた。
 「それに、街の中を抜ける方が観光気分を味わえるでしょう」
 お客さんは、里帰りか何かですかね?乗客はそれに答えず、運転手も気には止めなかった。
 「こういった仕事をしていると貴族様方の居住区へ行くことも少なくはないんですがね、どうにも気後れしちまって適わない。私には旧市街地が性に合ってますよ」運転手は笑う。
 エアタクシーは速度を緩め、高度を下げた。ゼノーブル区より更に上の、特権階級しか入れない地区だ。エアタクシーの発着場には7,8台のエアタクシーが止まっていて、1台、また1台と客を乗せていく。列の最後尾に回り、静かに停止した。
 「着きましたよ」
 「ありがとう」
 簡潔に礼を言って乗客はエアタクシーを降りる。市街地の喧噪が嘘のように静かな場所だった。発着場の前は広場になっていて、中央には噴水がある。天使を模した白い像は水瓶を肩に乗せていて、水はそこから注がれていた。市街地ではあらゆる広場で見かける大道芸人も皆無で、行き交う貴族の上品なおしゃべりだけがさざ波のように広がっていた。
 「久しぶりだな」
 ぽつり、と呟いて、バルフレアは歩き出した。白い鳩が一斉に飛び立つ。

HOME,SWEET HOME

 バルフレアの姿を見たとき、その家の執事と思わしき初老の男は手にした箒を持ったまま、目を見開いて固まった。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔ってのはこういうのを言うんだろうな、とバルフレアは思った。
 「ファムラン坊ちゃま!」
 「ただいま」
 ファムラン、とはバルフレアの昔の名だった。彼は16歳と3ヶ月のとき、その名前を捨てた。彼が生家に帰ってきたのはそれ以来であり、2人暮らしだったこの家には長い間彼の父だけが住んでいた。その主も今はいない。
 「お前がいるとは思わなかったよ」
 主を失った家で、誠実なその執事は報酬が無いにも関わらずずっと家を守り続けていたという。悪いな、とバルフレアが言うと、これが私の人生ですから、と執事は言った。ブナンザ家のお方が1人でもおられる限り私はこの家に仕えさせて頂きます、と。
 「坊ちゃまの部屋は出奔されたときのまま残しております」
 執事は丁寧にそう言うと、お茶をお入れします、と言った。バルフレアはそれを断り、2階へ続く階段へと足をかけた。
 「実を言うと、この家を売ろうと思ってる。どう思う?」
 「坊ちゃまの思いのままに。今は坊ちゃまがブナンザ家の当主で御座いますから」
 「苦労をかけた」
 バルフレアがそう言うと、少しだけ寂しそうな微笑みを浮かべて「ゆっくりされていって下さい」と言って、執事は割り当てられた自室へと踵を返した。彼はどこまでも忠実な家臣だった。

 その部屋は、2階に並ぶ部屋の一番奥にあった。異世界へ通じる扉のように重厚な板の、真鍮のノブを握って回すと静かに開いた。隙間から洩れた風には古びた紙とインクの匂いが交じっていた。部屋にはいると紙の匂いは一層きつくなる。
 ご主人が亡くなられてから何度か軍の監査が入ったので御座います、と忠実な執事は言っていた。本当はご主人のお部屋もそのままにしておきたかったんですが、と言った彼の顔は本当に残念そうだった。バルフレアは彼とは違う意味で、その部屋に人の手が入ったことに残念な気分がした。
 部屋の中は執事が整頓し直したのだろう、彼が覚えている限り整理整頓の苦手だった父の部屋にしては書類も綺麗に積み重ねられていたし、床に散らばる走り書きのメモ類もなかった。調度品は綺麗に磨かれていて、応接セットも机も何もかもから高級な空気が漂っていた。バルフレアは机に近付き、書類のいくつかに目を通す。彼に役立ちそうないくつかの資料—彼は空賊だった—をピックアップして抜き出していく。それはあるときは飛空挺技術に関する論文であったし、古代遺跡の調査資料でもあった。彼の父はエンジニアであり、考古学者でもあった。いくつかの資料を見比べるうち、その中に破魔石に関する資料がすっかりと抜け落ちていることに気付いた。今更終わった出来事を掘り返すつもりはなかったが、少しだけ惜しい気持ちがした。単純に推理すると軍が持ち去ったのだろう。
 重い引き出しを開ける。執事は引き出しの中までは踏み込まなかったようで、筆記具や書類や葉巻なんかが雑然と詰め込まれていた。そうだ、父はこういう性分だったのだ、と研究以外のことにはまるで無頓着だった姿を思い出していた。彼の父は研究が立て込むと食事すら忘れる人だった。
 引き出しの小物を適当に隅に寄せ、何とはなしに探る。そして一番底にぶつかったとき、一枚の古い設計図を見つけた。それを引っ張り出して彼は無意識に頬をゆるめる。その設計図には、見覚えがあった。

 彼がまだファムランと呼ばれていた小さい頃、父の書斎は入ることの許されない聖域だった。父が仕事に出ている間その部屋は堅く鍵がかけられていて、帰ってきて夕飯を終えると父はその部屋へと姿を消した。父に用事があるときはリビングと繋がった内線で連絡することになっていて、誰一人入ることを許されなかった。絶対に入ってはいけないよ、と年の離れた2番目の兄は言った。「あの部屋には母上も入ったことがないんだ」ファムランは母の顔を知らなかった。
 その兄が軍隊に入った年、8歳になったファムランは言いつけを破った。家の者の隙を見つけて書斎の鍵を盗み、その秘密の部屋へと足を踏み入れた。そのときの体験を忘れたことはない。壁には天井まで届く本棚と、その中にぎっしりと詰め込まれた書籍。部屋の手前には高級そうな応接セットが一組設置されており、ソファには父が仮眠用に使っていたと思わしきブランケットがくしゃくしゃになって引っかかっていた。その奥に大きな机があった。リクライニングの心地よい大きな椅子に座り、ファムランは部屋中を見渡した。壁を埋め尽くす書籍の数々は不思議と圧迫感を与えず、紙の匂いが心地よかった。机の上に目を遣ると、脇に積み上げられた書類に半ば埋もれる形で飛空挺の設計図と思わしき図面が広げられていた。ファムランは身を乗り出す。図面の右下には走り書きで『YPA-GB47』と記されていた。
 彼は幼い頃、空を飛び交う飛空挺に憧れていた。2人の兄は軍隊で司令官となったが、彼はパイロットになりたかった。大空を舞う飛空挺のコックピットに座る自分を想像しては胸を高鳴らせ、飛空挺の設計も行っていた父の職場に遊びに行っては追い返された。机に広げられた図面はファムランを虜にして、それで部屋に近付く足音も彼は聞き逃してしまった。
 「誰だ」
 その声にファムランはびくり、と体を震わせた。まだ陽の落ちきらない時間に父が帰ってくるのは珍しいことで、それで彼は父が帰ってきたことを初めうまく認識できなかった。父は大きな椅子に似合わない少年を見つけると、彼の名を呼んだ。
 「…ファムラン」
 怒られる、とファムランは身構え咄嗟に目を瞑った。父に怒られたことはなかったが、規律の少ない家の中で唯一ともいえる禁忌を犯したのだから、彼がそう考えることは自然なことだった。しかしやってくると思った怒声が飛ぶことはなく、父は無言で椅子に近付き、ファムランを抱き上げる。
 「こんなところで何をしているんだ?」
 固く瞑っていた目を開き、ファムランは父を見上げた。父は息子を見遣り、それから息子が先程まで熱心に見詰めていた机上に目をやった。図面が1枚、広がっていた。
 「お前は飛空挺が好きか?」
 「…うん」
 「そうか」
 父は広げられた図面に手を滑らせた。若い頃は技師をしていたという父の手は無骨で節くれ立っていて、それがファムランにとって『逞しくて格好いいお父さん』を印象付けていた。休日に遊ぶとか、勉強を教えるとか、およそ父親が息子に施すであろうあらゆる行為と無縁であった父の、それはファムランにとって数少ない父親の象徴だった。
 「この飛空挺はな、ファムラン。お父さんの夢が詰まっているんだ」
 夢、という単語にファムランは胸を躍らせた。お父さんの夢。それは何とも甘美な響きだった。
 「だが並のパイロットでは乗りこなせないだろうな」
 父は聞こえないくらいの声で呟き、溜め息をついた。ファムランはこっそりと父に目を向けた。顎には放置された無精髭が伸びていて、触ると痛そうだ、と彼は思った。
 「僕が乗るよ」ファムランは無意識に口を開いていた。
 「僕、パイロットになりたいんだ」
 言い切った息子に、父は驚いたように目を丸くし、それから曖昧に微笑んだ。嬉しそうでもあったし、哀しそうでもあった。
 「そうか、お前が乗ってくれるか」
 「だからこれ、作ってよ。僕が世界一のパイロットになるから」
 この飛空挺は、世界一だろう?ファムランは目を輝かせた。父は笑った。今度は本当に嬉しそうだった。

 感傷に浸るのは彼の性分ではなかった。そういったものに耽るような機会は今まで無かったといってもよい。だから彼はその行為にすっかり気を取られていて、部屋に近付く無機質な足音を聞き逃した。それは再び彼にあの日の驚きを呼び覚まさせることになった。
 「噂は本当だったんだな」
 突然の声にバルフレアは弾かれたように振り向いた。その視界にはいかにも重そうな、濃紺の鎧が映った。彼はその鎧を知っている。そっと引き出しを閉める。
 「ジャッジか」
 「私だよ、バルフレア」
 鎧の男はくぐもった声でそう言って、兜を取った。まず小綺麗に整えられた顎髭が見えて、高い鼻と、額に走った傷、短く整えられた金髪が露わになる。薄い茶色の目には慈しみと懐かしさが宿っているように見えた。
 「…バッシュ」
 「久しぶりだな」兜を脇に抱え、バッシュと呼ばれた男は笑った。
 「ラーサー新王直属のジャッジマスター様がこんなところへ何の用だい?バッシュ——今は、ガブラスだったか」
 「バッシュでいい」彼は苦笑した。
 「飛空挺乗り場で君らしき人物を見たという報告が入ったんだ。来てみて正解だ」
 バッシュが動く度に重厚な鎧はガシャリと耳障りな音を立てた。その音にバルフレアは不愉快な表情を隠そうともしない。基本的に彼にはその鎧にいい思い出がない。
 「フランはどうした?」部屋を見渡し、バッシュは言った。
 「さあ、俺はあいつの管理者じゃないんでね」バルフレアは意図的に気取った口調で返す。
 「随分と他人行儀なんだな」
 「お互いに干渉しすぎないのは相棒とうまくやるコツさ」
 バルフレアは方眉を上げる。それは彼の癖で、変わらないその仕草にバッシュは微笑む。バッシュの変わらないその反応はバルフレアを不快にさせた。
 「市街地で買い物でもしてるか、酒でも飲んでるんだろ」
 子供が興味を失くしたおもちゃに向けるような表情でバルフレアは呟いた。
 「君を捜していたんだ」
 「捕まえにでも来たか?」
 「まさか、君は世界を救った」
 そこでバルフレアは舌打ちを挟む。バッシュのそういった物の言い方が、有り体に言ってバルフレアは嫌いだった。
 「なぜ俺に構う?」
 「仲間だからだ」バッシュはバルフレアから目を逸らさずに言って、バルフレアはバッシュから目を背けた。
 「俺は手を組んだだけさ」
 どちらでも同じことだ、とバッシュは言った。
 「君も私も祖国を裏切ったし、家族を殺した」あくまでバッシュは静かだった。
 「弟を殺したのはあんたじゃない。ヴェインだろう」
 あんたは神に愛されなかったカインにゃなれないさ。バルフレアは机に浅く腰掛け、父の遺品である古ぼけた万年筆を手持ち無沙汰に片手で弄んでいた。
 「私が殺したようなものさ。私のあらゆる行動が弟の死につながった」
 それを言うなら君もオイディプス王にはなれないだろう?それでバルフレアは溜め息をついた。諦めてバッシュの方に目をやった。彼の目は自身を責めるようでもなかったし、後悔しているようにも見えなかった。
 「オーケイ、俺もあんたも祖国を裏切ったし、身内に手をかけた」
 万年筆を机に転がし、バルフレアは立ち上がった。万年筆は少しだけ転がって、何回目かにクリップが下に回ったときその動きを止めた。窓から差し込む光もろくに反射せず、無数に付いた傷だけがやけに目立って見えた。
 「だがそれが何だっていうんだ?俺はお前に同情する気はないし、傷を舐め合うつもりもない」
 「君は傷ついているのか」
 バルフレアはしまった、と思った。それでも自らが発した言葉を取り消すことはできない。彼の発言は永遠にバッシュの中に残るだろう。その、弟を殺して追放された兄につけられた印を思わせる大きな額の傷のように。お前はカインにゃなれないさ、声に出さずもう一度呟く。
 「君は一度も認めなかったな」バッシュは穏やかに言って、それが余計にバルフレアを苛立たせた。
 「なあ、あんたは何をしに来たんだ?」バルフレアは苛立ちを隠さない。
 「君の父上の手紙を見つけた。それを届けたかったんだ」
 バルフレアは息を詰める。けれどそれは一瞬のことで、取り繕うように「いつからジャッジはポストマンに鞍替えしたんだい?」と平静を装った皮肉で返した。それに困ったような微笑みを浮かべてから、バッシュは白い封筒を取り出した。ゆっくりとバルフレアに近付く。彼は少しだけ後ずさったが、すぐに大きな机に阻まれた。袋小路に追い詰められた罪人の気分だった。理由もなく今は遠い西の小国の地下水路を思い出した。
 「今回の戦争の調査で、この家を含めて父上の遺品を押収させてもらった。その中に紛れていたんだ。安心してくれ、中身は見ていない」
 「…それは職務違反なんじゃないか?重大なことが書かれている可能性はあるだろう」
 「もちろん周囲にはそんな手紙が遺されていたことは話してないさ」
 なぜ、とバルフレアは聞かなかった。バッシュは恐らく再び「仲間だから」と返すだろう。あるいは友人だから、と言ったかもしれなかった。どちらにしてもバルフレアはそんな単語を聞きたいわけではなかった。
 「礼は言わないぜ」
 「構わないさ」
 手紙を渡すと、バッシュは踵を返す。兜は脇に抱えたままだった。鎧の音を響かせて扉に差し掛かったとき、もう一度振り向いた。
 「これからどこへ行く?」
 「決めてないさ、空賊だからな」
 そうだったな、バッシュは微笑んで、しかしその表情はすぐに兜の下へと隠された。その下がどれだけ穏和であろうと他人に威圧感しか与えない、計算され尽くした兜だった。
 「また会おう」
 バルフレアは答えない。彼の視線は手にした白い封筒に落とされていて、バッシュの位置からはその表情が伺えなかった。もっとも、兜もその視界を狭くしていた。バッシュはバルフレアに背を向け、廊下を渡って階段を下りる。鎧の音は長い間消えずにいて、バルフレアを苛立たせた。
 「何だってこんなもん」
 封筒には何も書かれていなかった。中身を見ていないというのは半分嘘だろう、とバルフレアは思った。この封筒がバルフレア宛であることがわかるならば、必然的に中に目を通さなければならない。しかし残りの半分は、バルフレアは思う。恐らくあの誠実な将軍は手紙の宛先を知った瞬間に、便箋をしまい込んだだろう。そういった誠実さが彼の長所であり、短所でもあった。
 あいつは誠実で知的だ。独裁者に向かないタイプだ。声に出さずバルフレアは思った。
 封のされていない封筒を開く。中身も何の味気もない真っ白な便箋だった。メモ用紙と言っても差し支えがなかったかもしれない。2つ折りにされたその紙を開くと、研究者特有の走り書きのような懐かしい文字が並んでいた。思わずバルフレアは目を細める。筆無精な父からの、最初で最後の手紙だった。

 彼の手にした手紙を紹介する前に、少しだけ昔話をしておこう。
 バルフレアはアカデミーの中等科に入った頃から父の仕事を手伝い始め、卒業と同時に父の勤め先であるドラクロア研究所に入所した。アカデミーの教師は成績の良いバルフレアに対し高等科への進学を勧めたが、彼はまるで興味を示さなかった。黒板の文字を写してテストのヤマを張るだけの毎日よりも、実務で経験を積むことを彼は望んだ。研究所での父は上司であり、彼は大抵父の後ろ姿か横顔しか見ることができなかった。それでも自宅に眠りにだけ帰ってくる父を見ていた頃よりは格段と父との会話は増した。それはあるときは飛空挺に関してであったし、あるときは古代文明に関することであった。彼は深く父を尊敬し、飛空挺技師としての技術とパイロットとしての訓練に精を出した。
 2人の兄はバルフレアが研究所へ入所してすぐ、立て続けに戦死を遂げた。彼は優しかった2人の兄の思い出を辿り、泣いた。それでも彼は父の涙を見ることがなかった。父は葬儀の次の日には白衣を着て研究所の自室に籠もっていて、思えばその頃からバルフレアは父に対して少しの不信感を抱き始めていたのかもしれない。
 いよいよ研究に打ち込んでいった父との思い出が、一つだけある。
 YPA-GB47試作戦闘機が完成したのは彼が研究所に入って1年が経った頃だった。バルフレアはテストパイロットに名乗りを上げた。彼はその日を忘れない。テスト飛行を終えて興奮を抑えきれず走り寄った彼を父は微笑んで抱きしめ、「よくやった」と一言そう言った。
 バルフレアにとって机に向かう以外の父の記憶は異常に少ない。親子としての記憶はたったの3つと言ってもよい。1つ目、紙の匂いと設計図。2つ目、日光を反射する機体と腕のぬくもり。3つ目、巨大な銃と光り消えゆく体。そして父は死んだ。彼が殺した。
 昔話はここまでだ。

——親愛なる我が息子、ファムラン
 悲劇的私信の定番であることを十分承知で記述しよう。お前がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないだろう。私は今、リドルアナへ向かう準備をしている。この手紙を書いたら、私はあの塔へと向かうつもりだ。お前たちも大灯台へ向かったと、我が同胞であるヴェーネスが知らせてくれた。
 まず勘違いしないでほしい。私はお前がこの手紙を読むことを望んではいない。正確に言えば、この手紙を読む状況を作りたくはない。それは私が命を惜しんでいるからではなく、お前に父親殺しの罪を負って欲しくないからだ。だが私は理解している。私は恐らく、お前に殺されるだろう。
 随分長いこと、お前を直視することができないでいた。ヤクト・ディフォールの調査—思えばあれが私の転機だった—から戻った私に、お前は何度も声を荒げたな。ギルヴェカンでヴェーネスから全てを聞いてから、私は復讐に身を投じることとなった。復讐、と聞いてお前は不思議に思うかもしれない。お前は恐らく私が破魔石に取り憑かれているだけだと考えていただろうし、好意的に捉えても真実を知った人間には歴史を操る存在から人類を解放する、ともすれば正義にも似た志を持って研究に打ち込んでいたように見えただろう。
 だがファムラン、あれらの研究は私にとって復讐以外の何ものでもなかったのだよ。
 ヴェーネスが語った真実は私を震撼させた——オキューリアの神々は私がやがてギルヴェカンを訪れることを知っていた。そして彼らに刃向かうことを知っていた。それを知って彼らは私を含め我がブナンザ家を亡き者にする計画を立てた。つまり、我が愛する妻がお前を生んで亡くなったことも、お前の2人の兄の名誉ある戦死も、全てオキューリアの意志によるものだったとヴェーネスは言ったのだ。
 私はその話を俄には信じられなかった。私が彼らに刃向かうことを知っていたならば私1人を呪い殺せば済む話であっただろうし、そもそも私をヤクト・ディフォールに近付けなければよかっただけの話だ。彼らにはその力がある。しかし彼らはそうしなかった。彼らは私の頭脳を——それを可能にする遺伝子を—疎んだ。そして私があらゆる策を講じて彼らに刃向かう瞬間を待ち、その力を持って絶望的に私を打ちのめそうとしていたのだ。二度と人間がつけ上がった反乱を起こせないように。
 彼らにとって唯一の誤算は、ヴェーネスが彼らを裏切ったことだ。彼を味方につけることで研究は飛躍的に進み、彼は彼らの野望と傲慢に一矢報いる策を授けてくれた。あの出会いがなければ私はオキューリアの神々に対する勝算はつけられなかっただろうし、ファムラン、お前も殺されていたかもしれない。それから私はヴェーネスの心の内も読んでいた。彼は私が辿るであろう未来を偶然知り得、私に接触し真実を話した。それは私にオキューリアの神々を憎ませる為だった。憎しみは時に愛をも凌駕して人間の未知なる力を引き出す。ヴェーネスはそれに賭けた。そして私はそれを承知でヴェーネスの野望に手を貸すことにした。それを愚かだと思うなら、それでもいい。私はとにかく復讐を決意した。
 私が人生を賭けた復讐の、その結末はお前が知るところとなるだろう。今現在の私には未だ見えない未来の話である。私の願いはただ一つ、天授の繭を破壊することだけだ。あれは何も破魔石を生み出すだけの装置ではない。オキューリアの神々があらゆる力を行使する全ての源で、いわば彼らの意志そのものだ。あれさえ破壊することができればお前に、最も愛しい我が息子に彼らが危害を加える術はなくなるだろう。
 ファムラン、お前には悪いことをしたと思っている。父親としてしてやれたことは何一つなかったと言ってもいい。しかしファムラン。お前は最も色濃く私の遺伝子を引き継いでいた。2人の兄は軍隊へ入りカリスマ性を持って軍を率いたと聞いているが、お前は飛空挺や古代文明に興味を抱いた。私は嬉しかったのだ。お前が私の書斎に忍び込んだあの日、「パイロットになる」と言ったお前を心の底から愛おしいと思った。YPA-GB47試作戦闘機、あれは正真正銘ファムラン、お前のために作った飛空挺だ。誰もあれを超えることはできない。そのスピードを持って、お前は逃げ続けるがいい。それこそが私の望む最後の夢だ。
 お前はもしかするとこの手紙の内容を信じないかもしれない。お前が私を憎み続けるというのならば、それでも私は構わない。だがファムラン、私はお前を心の底から愛していた。父親として何もしてやれなかった私にはもはやこんなことを言う資格はないのかもしれない。それでも妻がその命と引き換えに遺してくれたお前は、当時36歳だった私の宝だった。それだけは信じて欲しい。
 では、私はもう行かなければならない。約束の時間だ。最後にもう一つ、お前が兼ねてから興味を持っていたグレバドスの秘宝についての調査資料をお前に遺す。机の一番下の引き出しは底が二重になっている。その下に入れておいたから、例え私の部屋に軍の調査が入っても持ち去られることはないであろう。好きに使うといい。
——シドルファス・デム・ブナンザ

2010.8.28