廃人なおもて往生をとぐ
ロブ、へリックス、トラガス、インダス、コンク、ロック、ダイス。
使い回しすぎて錆びてきたニードルを投げ捨て、新しいホールから伝わる鈍い痛みと熱に体を委ねた。いくつめかを数えるのもめんどくさくなって、他人よりも長いこの妖怪の耳でも新しく開ける場所は減ってきている。
逆に悪趣味よ、と言ったのは金光聖母だったが、あいつのファッションセンスよりはマシだと思っている。最初にピアスを開けたのがいつだったかは忘れたが、あの頃精神的苦痛はそれを超える肉体的苦痛によってのみ凌駕されると信じていた。だが実際どの部位に穴を開けたって大した痛みなど伴わない。絶え間ない精神的苦痛は乗り越えることもないままに麻痺して消えてしまった。残ったのは吐き気だけだった。それは慣れのせいだったのか、それとも妲己がくれた錠剤や葉巻のせいだったのか、今ではもう関係のないことだ。
左の耳に5つと右の耳に3つ、新しい肉芽ができていて、それらをひとつ残さず潰す。赤黒い血が滲む。全身に巡る血液と比べてこの出血のなんと微々たることか。もっとたくさんの血が流れればいい、と思う。みんなが殺し合えばいい。誰かが俺を殺せばいい。この間潰した肉芽が瘡蓋になっていて、それも一つ残らず剥がす。血が収まれば次は透明でぬるぬるとした液体があふれ出てくる。膿を出すホールもある。
耳が腐るわよ、それも金光聖母が言った。女はお節介だ。耳が腐る、それもいいだろう。聞きたい音などひとつもない。断末魔の叫びも人間の焼ける音も、快楽にはほど遠い。外界からの音を遮断すれば聞こえるのは全身を巡る血液の音、つまり脈拍、つまり心臓の音。生きているという証明の音。くそくらえだ、吐き気がする。俺はたまに金光聖母の空間に入る、完璧な闇を目的に、でもあの女が操るのは光であって闇ではない。
戦争が起きる、と妲己は言った。あの女は何になりたいのだろう。独裁者?確かに歴史は時として独裁者を求める。独裁者に必要なのは思想でもなければ聡明さでもない、カリスマ性、ただ一つだ。妲己にはカリスマ性があると言えなくもないが、あのカリスマ性は宝貝で作られた偽物だ。だから妲己は本物の独裁者にはなれない。そして思想と聡明さは独裁者が持たなくていいものの代表例だが、代わりに側近が持たなければならない。妲己の側近にはどちらもない。
歴史が求める独裁者。
歴史とは何であるか。いつか妲己が口走った歴史の道標、妲己は自分が操り人形なのだと言った。わらわもあなたもコマにすぎないの、あれが妲己の本音だったなら俺はとっくに妲己を見限っている。あの女は何になりたいのだろう。何百年前だったかは忘れたが、妲己は変わった。殷ができるかできないかの頃だ。野望とか支配欲とか、そんなものにまみれていた、そして俺には哀れに映っていた、あの女が変わったのはいつだったか。どうしてだったか。
妲己を母親だと思っている。だが妲己には母性がない。
戦争が起きる、と妲己は言った。起きればいい、大規模で美しい戦争が起きればいい、退屈な毎日を一瞬にして消し去ってくれればいい、生きる目的など考えなくていいように、死ぬ言い訳など用意しなくていいように、戦争が起きればいい、生きることそれ自体が目的であるような、死ぬことそれ自体が理由であるような、殷ができて何年が経つ、仙人界ができて何世紀が経つ、腐って溶けて蛆虫が湧いているような平穏、全てぶち壊せばいい、最も美しい死に方で何もかも消えてしまえばいい、この吐き気が収まるならば。
錠剤を口に入れる。1粒、2粒、3粒。耐性の壁を越えるまで何粒も。15粒、16粒、17粒。最近はバッドトリップばかりだ。膿んだピアスホールから耳が腐って溶けて蛆虫が湧いてくる。そいつらは耳の穴から目の穴から俺に入り込み俺の中を這い回る。血管を巡り心臓に食らいつく。神経を通って脳を吸い尽くす。皮膚の下全てを空っぽにされてひからびたとき、もう一人の俺が現れる。ひからびた俺を見下ろす。もう一人の俺の膿んだピアスホールから耳が腐って溶けて蛆虫が湧いてくる。なあわかるか?俺は何度死んでも死ねないのさ。
今見えているのは夢なのだろうか。現実と夢の違いとは何なのだろうか。眠って夢で起きて現実で、夢で眠ったそれは現実かそれとも夢の中の夢なのか。この錠剤が見せる幻覚は現実か?俺は眠らない。無意識が浮上するのが夢で意識が制御するのが現実であれば意識が無意識に制御されているというその理論、つまり現実は夢に支配されているというのか?
時にお前達はわけのわからない理論を開発する、直感的になってみろよ、この世界は全て幻なのさ、誰かが見ている夢の住人、俺の見ている夢の住人、世界は何重にも重なった夢にしかすぎない、早くこの世界を壊してしまおう、戦争をしよう、この永遠の夢から目覚めよう、そこにあるのは観念だ、物体など幻想にすぎない、今目の前に見えているそのカップ、時計、鏡、全てはただの光線なのさ、お前が見ているのは幻にすぎない。
幻覚から目覚めて残るのはいつも吐き気だけだ。錠剤の量は際限なく増え続ける。
通天教主に何度も言った。お前のその六魂幡で何もかも包み込んじまえよと、この星ごと消し去ってしまえばいいじゃないかと。だが心を失くして抜け殻になったあのジジイはついにそれをしなかった。だから頼んだんだ、俺一人でもいいからその宝貝で包んでくれ、いくつもの魂魄全てを一瞬で消してくれ。どんな薬物を投与してもどんな空間に閉じこめても通天教主はその宝貝を使わなかった。実に不愉快だった。
あいつがもともと何の妖怪なのかは知らないが、人型でいすぎたのかもしれない。妖怪仙人はもともと良心とか罪悪感とかそんなもの持ち合わせないし、もっと直接的で短絡的、強者が生き残り弱者は死ぬしかないことをちゃんと知っているのだ。弱者がのうのうと生きていられるのは人間だけだから、だから崑崙は金鰲よりも甘くて弱い。通天教主はもはや妖怪仙人の教主の資格を失っていたのだ、抜け殻になる前から。
俺が六魂幡を使えたら間違いなくすぐにこの世界を包む。道具は持っているだけでは意味がない。その最大の効力を発揮してこその道具だ。
ロブ、へリックス、トラガス、インダス、コンク、ロック、ダイス。
ひとつ嫌なことがある度にホールを増やした。金鰲に来たばかりの頃の話だ。通天教主、妲己、十天君の連中、くそくらえだ、吐き気がする。俺の耳はすぐにピアスで埋まり、次に錠剤を摂取しはじめた。その幻ももうすぐ消える。六魂幡は俺のものになるだろうか。ならないだろう。
どれだけ誰を憎もうが世界は勝手に回る。俺は世界の身勝手を受け続ける。戦争が起こればいいんだ、みんな消えちまえばいい、世界の身勝手は俺に見向きもしなくなるだろう、吐き気だけを俺に残して身勝手に多くの命を奪うだろう。
肉芽が割れるように戦争が起こり、血が流れ、瘡蓋ができてやがてそれが癒えるとき、新しい細胞が新しい組織を作り上げる。新しい世界に俺はきっといない。俺は世界の身勝手に殺されるだろう。この吐き気をかかえたままで。