それは全て色の話。
ALL ‘BOUT THE COLOR
絵を描くことは日常だった。物心ついたときからずっと絵を描いていた。好き嫌いを通り越した位置にあるそれは僕の日常。
「比乃君は絵が上手ね」
それでも僕が絵を描くと幼稚園の先生や友達が集まってくるから、僕は絵を描くことがとても好きだったんだと思う。
授業が退屈でたまらなかった水曜の午後、5限目の終わりのチャイムが鳴ると一目散に屋上を目指した。手には新しいスケッチブックと古びた30色入りクレヨン。
屋上のドアを開けて思い切り外の空気を吸い込む。息を吐き出してゆるゆると横を見ると、見慣れたけれど慣れることのできないサングラスとヘッドフォン。いつまでも自分の存在を否定し続けるかのように目と耳を塞いだ人がいた。
「シバくん…?」
いつものように、僕にはわからない、どこか遠い国の歌を口ずさんでいた。無意識に彼の名前を呟いた。彼は、こちらに気付いただろうか。少し身を震わせた。多分、気付いている。
屋上から見える空は色んな色をしていた。今まで生きてきた中で幾度と無く空を見上げたけれど、僕は此処から見える空がとても好きだった。そしてこの空は1度たりとも同じ色を見せたことがない。だから僕のスケッチブックはいつもこの空で埋め尽くされた。それは例えば絵の具だったり、色鉛筆だったり、色とりどりのクレヨンで描いたりするのだけれど、どの絵を見てもいつも違う色で満たされていた。
「偶然だね〜、シバくんもサボり?」
シバくんに、今度は大声で声をかけて、黄昏れている彼の隣に座って絵を描き始めた。
今日の空はとても青い。都会の空は霞んでいる、なんて猪里先輩なんかは言っていたけれど、この辺りの空は、たまにとても綺麗な青を見せる。そして黄昏時には、それはとても美しい夕焼けを映し出す。
目を開けると、さっきまで青かった空がその、何とも言えない夕焼けに変わっていた。綺麗だ、なんてまだはっきりとしない意識でそれに見惚れていた。はっ、と我に返った。
「いっ、今何時!?」
パニックになりかけた僕の前に、誰かの腕が差し出された。いや、正確に言うとシバくんの腕時計。5時を示していた。居眠りをしてしまっていたようだ。
「部活…」
呟いた僕の肩をシバくんが叩く。僕は振り返る。彼は首をふっている。いつもなら多分それで伝わっている内容なのだろう。けれど途方に暮れてそれどころではない。理解しない僕に、シバくんは少し困った顔をして、思いついたように腕時計の曜日表示を指した。
…喋ればいいのに。
「水曜日…?あっ、委員会か!」
シバくんは満足そうに頷いた。僕はまた夕焼けに見惚れる。
「ねえ、知ってる?」
聞こえているのかはどうでもよかったけれど。隣にいるシバくんに、聞いて欲しい話があった。彼はいつも喋らない。僕の話を黙って聞いてくれる。
「夕焼けの色ってね、赤じゃないんだよ」
小学校の時、授業で夕焼けの絵を描いたことがある。どの子もみんな馬鹿の一つ覚えみたいに、朱色や真っ赤なクレヨンで、真っ白な新しいスケッチブックを染めていた。その中で、僕は小学校に入ったとき買ってもらった30色入りクレヨンを片手に、サーモンピンク、薄紅、ローズピンク、朱鷺色…色んなクレヨンを重ねて、会心の色を出したんだ。ほら、見て、これがあの夕焼けの色だよって。だけど友達も先生も口を揃えて言った。
「違うよ、夕焼けはそんなんじゃない」
その日から僕は夕焼けの色を赤で塗ることにした。それでも、僕の目に映される夕焼けの色はいつでも赤ではなかった。
僕がその話をするとシバくんは、黙って30色入りクレヨンの中から、サーモンピンク、薄紅、ローズピンク、朱鷺色…色んな色を取り出して、僕に微笑みかけた。
「え?それで?描くの?」
シバくんはもう1度、優しく笑って頷いた。
「ありがとう、でもね。その色じゃ描けないんだ」
僕がそう言うと、シバくんは悲しそうな顔をした。
「あ、ごめんそうじゃなくって。今日の空はね、もっともっと綺麗なんだ。だからもっともっと色んなクレヨンで描かないと。空って、いつも同じじゃないんだ。今はこんなに綺麗な夕焼けで、さっきまではすっごく青くて、でも曇った灰色の日だってあるでしょ。夕焼けも色んな色で、青もいつも同じじゃなくて、だから僕は空を描くのが好きなんだ〜」
シバくんは黙って僕の話を聞いていた。変に相槌も打たないから、かえってすごく話しやすい。
シバくんはまた、優しく笑った。絵が完成するまで、やっぱり黙って夕焼けを見ていた。陽が落ちる前に、今日の空が消える前に、僕は急いでクレヨンを走らせた。