家から少し離れた所にとてつもなく長い階段がある。それはさびれた住宅地の隣に位置する、何の味気もないコンクリートでできた、横幅の狭い階段だ。学校からの帰り道、その階段は近道となる。けれど俺は、別に階段を登るのがダルいわけでもないが、いつも遠回りしてその階段を避けていた。

ノスタルジック’94

 ここを通る人間は少ない。それは最近駅の近くを中心に開発が進んでいることで、ここらに住む人間がだいぶ減っているからだ。俺の通っていた小学校も、ここ数年でかなり生徒数が減ったらしい。
 俺が小さかった頃はまだ同じ年頃の奴も多くて、この長い階段は密かな人気スポットだった。家の玄関にランドセルを投げ出したまま、約束も無くこの階段に集まっては陽が落ちるまでずっと遊んでいた。”危ないから”と言われながら、俺も含めたほとんどの奴らが親に内緒で来ていたため、多分、子供特有の、ピンポンダッシュにもよく似た奇妙な連帯感を、俺たちは好んでいたのかもしれない。
 大人の知らない、此処は俺たちの秘密基地だった。
 だから、階段で遊ぶといってグリコとかそんなことばかりしていたわけではない。今はもう無い近くの駄菓子屋で買ったお菓子を食べて、カードゲームをし、疲れたらみんなでそこに寝たことだってある。夏は日陰になって涼しかったし、冬はとにかく走り回った。怪我が多かったのは、冬だ。

 俺は大人が嫌いだったわけではない。やることなすこと全部に言いがかりをつけられていたけれど、大人の言葉はいつも正論で、絶対だ。それに片端から逆らうことも出来たはずだったけれど、あえてそれはしなかった。無意味な反抗をするたびに自分が空しく思えて、同時に酷く馬鹿で、弱いのだと感じていたからだ。
 だからあの時俺に何も言わずただ見ていた大人の目。それがたまらなく嫌で、それ以来俺は無意味な反抗をすることにした。叱られるときはちゃんと叱られたかったし、憎まれるときはちゃんと憎まれたかった。

 それは小学校高学年のときのことだ。凍えるような寒さの冬の日だった。珍しく雪が降った日だ。雪解けの氷があちこちに張り付いていた。一緒に遊んでいた下級生の一人が落ちた。
 いつものように悪ふざけをしていた。その日は寒かった。雪解けの氷が灰色に染まって汚かった。そいつは足を滑らせて落ちた。俺が突き落としたようなものだ。灰色の氷が赤く染まるのを見た。
 みんなで悪ふざけをしていた時だったから、特別に叱られた覚えはない。あの日そこにいた奴は全員親にこってり絞られた。それでも俺には妙な不快感が残り、けれど俺はまだその名前を知らなかった。多分それは罪悪感だった。
 落ちた奴の親は俺を怒りたくても怒れなかったようだ。あれは事故だった。たまたま俺が突き落とした。その親は、怒りはしなかったけれど俺を見ていた。その目が今でも忘れられない。怒りとも悲しみともつかない目だ。非難でも憎しみでもなく、ただ俺を見ている目だった。
 幸いなことに怪我は大したことではなかった。けれど結局謝るタイミングも失ったまま、いつの間にかそいつは引っ越していった。あの時芽生えた小さな罪悪感が消えないまま、俺は街で遊ぶことを覚えた。それ以来そこへは行かなくなった。

 その何年か後、中学の時に階段を訪れたことがある。もう遊ぶ子供もいなくなったようで、やけに静かだった。とても古びて見えた階段を上っていった。その階段は長い。そして遠い。あの頃感じられなかった遠さを思い知った。もう自分はこの階段を駆け上がることなど無いと。あの頃のように無邪気には遊べないと。
 何より近かったそこがやけに遠くて、来るんじゃなかったと後悔した。古き良き時代とはいうけれど、すべての時代は古くなるとよくなるものだ。階段は上りたくなかった。できることならずっとそこにいたかった。結局俺はその階段を上りきれず、そのまま当てもなく電車に乗った。もう随分前から家に帰っていなかった。
 あの時俺はあの階段で何をしたかったんだろう。確かにあの階段はただの帰路なのかもしれない。けれどあの時家に帰る気は全くなかった。

 高2になり、事件から5年以上が経過した頃に俺はもう一度そこを訪れた。小学の時相手の親に怒られなかったことで、中学の時階段を上りきれなかったことで、多分俺は二回も”何か”を逃してしまった。その”何か”が何なのかはわからない。わからなくていいという気もした。ただ”何か”のきっかけになるかもしれない。それだけを思って階段を上りに来た。中学の時よりももっと遠くなった階段を上る。何故かはわからない。上らなければいけないような気がしたからだ。おそらくこれ以後此処へ来ることはないだろう。いつまでも離れられなかった此処へのノスタルジアは今日此処で消える。俺は多分ずっと此処へ来たかった。何かに会える気がしたから。無意味な反抗をするのも今日で終わりだ。

2002.9.25