「…何やってんDa?」
NOBODY LOVED HER
俺が家に帰るのは3週間ぶりだ。今度はいつもより早かった。一番長いときで半年家に帰らなかった。親は大概居場所を知っていたし、探そうとする人間だって皆無だ。もはや家出とも言えねぇな。孤独、そうだな。そう言えなくもない。とりあえず家に帰らないんだ俺は。
洗濯?そんなもんどこでだってできんだよ。電車で2駅ほどいったところに古い町があるんだ。ここら一帯はすげぇ開発してるっつーのにな。今の時代に場違いなくらいレトロな町なんだよ。時間の止まった街ってああいうのを言うんだな。俺の家だってそんなに新しい街にあるわけじゃないんだぜ?だがそうだな。そんなのは比べモンにならねぇ。まあそういう町があるんだわ。電車で2駅だ。そこの古びたボロアパートに住んでる女がいるんだ。そいつはその家に似合わねぇくらいの美人でよ。久しぶりに本気で女口説いたんだ。結局落ちなかったけどな。男を待ってるんだと。8年前に出てった男をだ。てめぇいくつだって感じだったぜ。どう見たって俺と変わらねぇのにな。
とりあえずその女は家出てる間泊めてくれんだ。背が高くて髪の長い女だ。別に何するわけでもねぇ。ヤったこともねぇからな。その女の家で今度は3週間だ。いい加減帰れと追い出されて帰ってきたわけだ。最近じゃ猪里も泊めてくれねーんだよ。薄情な奴だよあいつは。
それで久しぶりに家に帰ってきたわけだけど、家の前にちょっと知り合いが立ってたんだ。そいつは同じ学校のやつで、同じ学年だ。部活中その辺うろちょろしてる女だ。俺は何かとその女を知っている。外見は悪くねぇ。だがそいつは俺を嫌ってるらしくて。
「あら、帰ってきたんですの?(意外)」
そいつは変な喋り方すんだよ。いや変っていやあ俺も大概変だけどな。喋り方が変っつーか、それ自体はただのお嬢言葉なんだが、どうも最後に何かがくっついてんだよ。それがあんまりストレートなもんだから俺はこいつが苦手なんだ。相手も俺を嫌ってるから別にいいんだけどな。むしろ好都合だ。
「当たり前だRo、此処俺んちだZe」
自分で言ってて奇妙なもんだ。この家が自分ちだなんて概念とっくに消えてたからな。
「てゆーか何でテメーが此処にいるんだYo」
だからこいつが此処にいる理由もとっくに忘れてたんだ。普段学校でしか会ってないからな。まぁ慣れってのは大概そんなモンだ。
「何言ってますの?あなたの家の向かいは私の家ですわ(呆)」
何で呆れられなきゃなんねーんだっつの。とりあえずんなことすっかり忘れてたわけなんだが、でもやっぱりおかしかった。その女はずっとそこに立ってたんだ。あの女と同じだ。あいつはいつも扉の前に立っていた。細い煙草をふかしながら、いつか男が現れるのを待ってやがった。
「で、何やってんDa」
「家に帰るんですのよ?(意味不明)」
何というか語尾が四字熟語になってて読めねぇ。まぁそれは置いといてだな。
「の割にはさっきから立ちっぱなしじゃねぇKa」
「あら見てましたの?声くらい掛ければいいですのに(怪)」
何も怪しまれる理由はない。
「帰りたくても、帰れないんですの(困)」
心底困った顔をする。この女は昔からそうだ。感情がわかりやすすぎる。あの女の側にいたから余計だ。あの女からは何も読みとれない。
「何だYo、テメーも家出Kaい?それとも勘当Ka?」
「馬鹿、そんなワケありませんわ。(当然)私はあなたとは違いますのよ(呆)」
ちょっとムカついた。が、まぁその辺は軽く流すとしよう。俺様だっていつまでもガキじゃねぇ。確かにこの女の家はデカい。金持ちだ。俺んちの向かいはこの女の家だけだが、こいつんちのお向かいサンなら腐るほど立ち並んでる。その金がどっから湧いてくんのかは知らねぇが、とにかくこいつはお嬢なんだよ昔から。おまけに親は盲目的にこの女を可愛がってるからな。勘当なんかはぜってーしないハズだ。
あの女の実家もちょっとした富豪だったらしい。但し、血がつながってるのは父親だけだった。あの女はよく言ってたぜ、
”金があっても親に愛されなきゃ意味が無い”ってな。
「じゃあ何で帰れねぇんだYo」
いい加減苛々してきたからちょっと口調をキツくした。とはいってもこの女は昔っからどんな脅しも効かねぇがな。
「あなたに言っても理解できるかどうか…(苦笑)」
何なんだこの女。マジムカついてきた。だが何度も言うようだが俺もガキじゃねぇ。そう簡単には挑発には乗らねぇぜ?あの女もよく俺を挑発して楽しんでたからな。
「いいから何なんだYo、言ってみRo」
そしたらそいつはちょっと考えてから、言った。
「『ゼノン』という方をご存じ?(躊躇)」
「あ?」
「『ゼノン』ですわ(怠)」
ちょっと待て(怠)って何だ。ゼノン?ゼノン、ゼノン…ああ、あれか。
「あれだRo、神だ神。俺は信じちゃいねぇがNa」
「やっぱり馬鹿でしたわ(呆)それは『ゼウス』ですわ。私が聞いているのは『ゼノン』ですのよ(嘲笑)」
ついに嘲笑われました。俺も終わったな。
「で、何なんDa?その『ゼノン』とかいうのはYo?」
「ギリシアの有名な哲学者ですわ。あなた、アキレスと亀のパラドックスくらいはご存じ?(試)」
あーなんか俺試されてんのか。そうなのか。昨日まで散々あの女に遊ばれてたってのに、帰ってきてもそうなのか。
「誰だYoアキレスっTe。ウサギとカメなら知ってるZe?」
「馬鹿、それは誰だって知ってますわ(呆)まあ別にウサギとカメでもいいんですけれどもね」
本日馬鹿と言われたのは2回目だ。あーどうせ俺は馬鹿だ阿呆だだがカッコイイだろそれで充分じゃねぇか。
「ゼノンという人はいくつかのパラドックスを残しましたの。アキレスと亀、飛ぶ矢、競技場、そして二分法ですわ(嬉)けれど競技場のパラドックスはパラドックスとは言えませんわね。あれはそもそも根元から間違っていますもの(汗)」
「なぁ、テメーは何を言いたいんDa?」
「ああ、そうでしたわね(焦)話が何処かへ逸れてしまいましたわ(汗)その中の二分法のことを考えていたんですの。あなた二分法をご存じ?(一応)」
「知るわけねぇだRo」
「でしょうね(落胆)あなた私の所まで辿り着けます?(唐突)」
いよいよナメられてきたかもしれない。俺とこいつの距離はほんの5mほどだ。頭はさっぱりだが体はちゃんと動くんだよ俺は。
「当たり前だRo、いい加減何なんだYo」
「ですわよね(当然)けれど、ゼノンの唱えた二分法のパラドックスでは違いますの(困)あなたが私の所へたどり着くには私達の距離の丁度半分の点を通らなければいけないでしょう?なのにその点を通るためにはあなたと点の距離の丁度半分の点を通らなければなりませんの。その点を通るためにはまた…」
「Ah〜待てっTe、わかっTa、つまり半分の半分の半分のそのまた半分を通るかRa、結局俺はそこへは行けねぇんだNa?」
「あら、案外早く理解しましたわね(意外)」
「脳味噌なら容量がら空きだからNa」
「よくわかってますのね(関心)」
これはあの女によく言われた言葉だ。こいつはあの古い町の女に少し似ている。あっちの方が飛び抜けて美人だが、それでも何処か似ていた。あの女も今のこいつみたいな哲学っぽい話が好きなんだ。その度に俺は言ってやった。
”そんなんだから男に逃げられんだよ”
そんな時絶対にあの女は何も言い返してこなかった。俺はあの女の話をいつも聞き流してるだけだったから、話の内容までは覚えていない。だがいつでもあの女の言うわけのわからない持論は何故か俺の頭には抵抗無く入ってきたんだ。生まれたての赤ん坊が何の疑いもなく言葉を覚えていくのと同じだ。そんな時あの女は必ず俺に言った。
”脳味噌の容量ががら空きなのよ”
俺がそれに文句言ってると遠い目をして言うんだ。その目は俺を見ながら見ていない。
”私も、よく言われた”
誰に、とは言わなかったし、聞かなかった。
逃げた男は哲学研究者だったらしい。頭の固い、つまらない男だったと言っていた。でもあの女はずっとその男を待ってたんだ。ボロアパートの扉の前で、細い煙草をふかしながら。
「だから私は家へ入れませんの(困)」
「だGa、実際は入れんだRo?」
「ええ、それが不思議なんですわ(素)ゼノンの言うことは確かに正論なのに。もしかしたら私達の存在がパラドックスかもしれませんわね(諦)」
「案外そうかもしれねーNa」
「え?」
「本当にたどり着けない場所ならあるZe、すぐ目の前にあるのに。辿り着けねぇんDa」
「何の話をしていますの?(混乱)」
「別に、俺はガキなんだって話だYo。早く帰れYo、お前は家に着けんだRo。親が心配してんじゃねぇのKa、俺と違ってNa」
「そうですわね。では、おやすみなさい(眠)」
「じゃあNa」
俺は多分あの女に本気で惚れてたんだ。絶対に届かない。気持ちも年齢も、どれだけ行ったって俺は半分すら進めない。無限に広がる点をひたすら歩くだけだ。今度家を出たらもうあの女の家に行くのはやめよう。行ったってあいつは扉の前で立ったままだ。あの女が待ってるのは俺じゃねぇ。何処かで生きてる哲学ヤロー、どうかあの女を幸せにしてやってくれ。あの女は誰にも愛されなかったんだ。