晩鐘、今宵は鳴るなかれ
まだ幼稚園に入るか入らないかの頃、よく近所の公園に一人で出掛けた。それは俺が生まれてすぐの頃よく親に連れて行ってもらった公園で、あまり構ってくれなくなった親の数少ない思い出がある場所だった。
その日もいつものように一人で公園に出掛けると、ブランコに同じ年頃の男の子がいるのを見付けた。その頃、俺と変わらない年の奴はみんな親と遊びに来ていたから、一人で俯きながら揺れていたそいつの周りだけ、空気とか時間とかそういうものが全て凝縮されて固まってしまったかのような、そんな違う世界が存在しているように見えた。
けれど俺はその世界を知っていて、それと同時に、それが俺のいる世界と同じモノだと言うことを直感的に悟った。そいつの周りには俺がブランコで揺れている時と酷似している、悲しみと孤独の混じり合った、澱んだ世界が広がっていたのだ。だから俺がそいつに近付いて話しかけたとき、俺たちはほんの少しも人見知りをせずに自然に笑い合って一緒に遊んでいた。
それが俺の知っている中での一番古い天国だ。
その日から俺と天国はその公園で毎日遊んだ。
その公園は、毎日6時になると鐘が鳴った。雨の日も風の日も土曜も日曜も、毎日毎日その鐘の音は小さな町に響き渡った。俺たちはいつも時間を忘れて遊んでいたから、その鐘が鳴り終わると一目散に家へと走った。6時を過ぎたからと怒るような親ではなかったし、家に帰ってもすることなどないから帰る必要は無かったけれど、植木のてっぺんで寝ていようがかくれんぼの最中だろうが毎日毎日その鐘を聞くと俺たちは家へ走った。
その鐘は別に高い所にあったわけじゃない。だから鐘突の男もいなければ泥でぬるぬるした梯子も無いし、それどころか重々しく揺れる振り子すら無い。それは鐘でありながら鐘は存在しなかった。学校のチャイムと同じだ。ただ6時になると鳴るだけの存在。それでも俺たちにとっては鐘で、その鐘が鳴るとき、俺たちは家に帰らなければならなかった。
あれは随分昔の話だ。毎日毎日鳴り続けた鐘が、一度だけ鳴らなかったことがある。それは誰かがいつかの詩のように、恋人の死刑囚を殺させない為に鳴らさなかったのかもしれないし、ただ故障してしまっていただけかもしれない。どちらにしろ鐘が鳴らなかったのは後にも先にもあのとき一回きりだ。
その公園には時計が無かった。あったにはあったのだがその時計は完全に止まってしまっていた。学校の時計も確か止まっていたはずだ。20年前の3時3分で時を閉じこめた時計を俺は知っている。だがあの公園の時計がいつから止まっているのかは知らなかった。時計の存在にすら気付いていなかったかもしれない。初めて公園に行ったときから止まってしまっていたかもしれないし、案外自分が壊してしまったということもあり得るかもしれない。
毎日公園に通う中で、鐘が鳴らなくなるまで俺は時計が止まっていることにすら気付けずにいたのだ。
いつも見ているモノや聞いているモノの存在というのは案外忘れやすくて、現に今鐘の音を思い浮かべろと言われて頭の中に鳴らすことはできない。地下道に連なる広告のタレント達と同じだ。夏に女がプールサイドで水着を着ているポスターがあった。それが夏で映っていたのが女で着ていたのが水着だったことは思い出せても、その女の顔がどのような造りだったかはどうしても思い出せない。美人だったことや髪の色なんかは思い出せるのに、どうしても顔となれば頭に思い浮かべることはできないものだ。同じ顔の並んだ壁を見ながら歩いていても、その地下道を抜けると何の広告だったかさえ思い出せない。清涼飲料水でも持っていたのかもしれないし、あるいはその美しい体を見せつけてエステの宣伝でもしていたのかもしれない。
人の記憶というのはそういうものだ。
鐘が鳴らなかった日も俺たちは遊んでいた。俺たちは毎日鐘が鳴るまで遊ぶことが日課だったから、周りが暗くなったってそんなことはどうでもよかった。多分俺も天国も馬鹿だったから、周りで遊んでいた人間が減っていくのにも気付かず時間も太陽も気にしてはいなかったんだと思う。
その日はかくれんぼをしていて、俺が鬼だった。俺たちのかくれんぼはいつも見つかるか、あるいは鐘が鳴るまでは決して終わらなかったから暗くて辺りの見えにくくなった公園で俺は必死に天国を捜した。天国はいつも奇妙な場所に隠れてばかりいたから俺が鬼になると決まって鐘が鳴るまで交代することはなかった。その日もとうとう見付けることができず、諦めて鐘が鳴るのを待とうとベンチに腰を下ろしたとき、漸く何かがおかしいことに気付いた。辺りには既に誰も居なくて、冬でもなかなか見たことのない黒い黒い闇が辺りを覆っていたのだ。悔しかったが俺は降参を宣言して天国に出てきてもらい、今日は何かがおかしいのだということで家に帰った。
家に帰ると普段俺に見向きもしない親が心底心配そうな顔で、けれど俺を見るなりすごい形相をして
”こんな時間までどこほっつき歩いてたのバカ息子”
なんてその辺にいる親みたいに俺を怒った。時計を見るとゆうに11時を回っていた。このときほど自分を馬鹿だと思ったことはない。
何年か経つと、どちらともなしに公園では遊ばなくなった。それでも鐘は毎日鳴り続けて、ブランコに座っていた天国に話しかけてから奇妙なまでに続いている腐れ縁は未だ切れることなく、俺たちは高校生になった。高校に入ってから天国はあれほど嫌っていた野球部に入った。俺は何だか知らないが報道部なんかに入ってしまい、少しずつ俺たちの道は分かれつつある。多分これが自然なことで、これから俺たちはどんどん離れていくのだろう。一緒に帰る道すがら、遠くから晩鐘が聞こえた。
「なあ沢松」
「何だ?」
「俺今でもさ、あの鐘聞くと家帰んなきゃ、とか思うんだよ。馬鹿みてェだよな。高校にもなってよ…」
「安心しろ、俺も馬鹿だ」
俺たちが少しずつ、けれど確実に離れていく中で、それでも毎日鐘は鳴り続けるのだろう。どれだけ遠くにいてもその鐘の音だけは必ず耳に届いて、あるいは此処へ帰って来たくなるかもしれない。けれど俺たちはその鐘の音を聞いてはいけない。俺たちは振り子のないあの鐘を止めることはできないから、自らの耳を塞ぐしか無いけれど。
西日の最後の光が、俺たちの顔を照らしていた。