「お疲れ〜」
自主練を終えて牛尾が部室を開けたとき、既に中には一人しか残っていなかった。
「…また君かい」
夕暮れの薄暗い部室の中で椅子に座っていた兎丸は、電気を点けた牛尾に気付いてひらひらと手を振った。今日も遅かったね〜、そう言いつつも目線は手の中のゲームにあった。
「待ってるくらいなら君も練習すればいいのに」
自分のロッカーに向かいながら牛尾が言った。別にいいじゃん、自主練ならちゃんと家でしてるし。兎丸は目線も上げずに答える。しかしゲーム機が爆発音を上げたとき、あ〜あ終わっちゃった、とようやく顔を上げた。
「今日こそ勝たせてもらうから」
「できるものならね」
幼い外見には似合わない不適な笑みを浮かべる兎丸を牛尾はさらりと受け流した。さしてそれを気にする風もなく、間もなく着替え終わりそうな牛尾を見て兎丸は机の端に置いてあったカードに手を伸ばした。
UNDERCUT
ここのところ毎日兎丸は牛尾を待っていた。目的は一つしかない。数日前から誰も居ない部室で二人はカードゲームを楽しんでいた。といってもゲーム自体を楽しんでいるのは牛尾だけで、兎丸は一度も勝てたことがないということで意地になっているだけだった。今までゲームと名の付くモノにこれだけの負けを喫したことはほとんどなかったため、兎丸のプライドに触ったらしい。
着替え終わった牛尾が兎丸の向かい側に座ると、兎丸がカードを広げた。迷う様子もなく牛尾はその中から一枚選んで裏返した。ハートのK。
「今日は何をやるんだい?」
「別に何でもいいよ、ポーカーはもう飽きたから嫌」
次いで兎丸がスペードの4を引いた。
「ジン・ラミーでいい?」
カードを集めながら兎丸が言った。いいよ、でも僕強いよ?牛尾は綺麗に笑う。兎丸は何も言わない。兎丸は牛尾の笑みが嫌いだ。
両方に十枚ずつ配り、残りは中央に置かれる。兎丸は山の一番上のカードをめくった。ダイヤの2。
「いらない」
十枚の手札と見比べて牛尾が言った。
「じゃあ…もらっとこ」
兎丸はダイヤの2を手札に入れ、ハートのAを捨てた。
「…煙草の匂いがしない?」
牛尾が一枚引き、そのまま手札に入れた。ダイヤの7を捨て、微かに漂うにおいにあらかさまに表情を歪める。
「そう?どうせまた監督が吸ってたんでしょ」
場をちらりと見て少し思案し、兎丸は牛尾が捨てたばかりのダイヤの7を拾って手札に入れ、クラブの4を捨てた。
「いくら何でもセンパイ達だって部室じゃ吸わないでしょ」
牛尾が今度は何のためらいもなく山から一枚取って、そのまま捨てた。ダイヤのA。
「こないだグラウンドにも灰が落ちてたよ。何とかしてくれないかなあ」
「無理なんじゃないの〜?」
兎丸も山から一枚引いた。そのカードを手札に入れ、スペードの9を捨てる。
「監督としては認めるんだけどね」
苦笑しながら牛尾が一枚引く。手札に入れて、スペードの9を裏返した。
「ノック」
「ちょっ!?早すぎ!」
牛尾がカードを開く。スペードのA、ハートの2、クラブの3。ハートの5、ダイヤの5、クラブの5。スペードの10、ダイヤのJ、クラブのQ、スペードのKがそれぞれセットになっている。
「ジンだ」
「何それ、最悪」
兎丸のカードはダイヤの2、スペードの2、クラブの2。ハートの7、クラブの8、ダイヤの9がセットになっていて、スペードの7、ダイヤの7、ハートのJ、スペードのQが余り。
「さっさと絵札捨てればよかった」
苛々した口調で兎丸が言った。
「34点とボーナスで…59点か、書くもの持ってるかい?」
「ケータイでいい?」
そう言って素早くテキストメモに記録した。牛尾はあまりメールを使わない。手慣れた兎丸の操作に少し驚いていた。
「速いね」
「そう?」
「僕はいまいち携帯を使いこなせてないから…」
「それって男子高校生としてどうなのさ」
牛尾は何も言わず、苦笑しただけだった。兎丸がまた互いに十枚ずつ配り、一枚開く。クラブの2。
「いらない」
「もらうね」
兎丸はクラブの2を手札に加え、スペードのAを捨てた。牛尾はそのまま兎丸の捨てたスペードのAを取り、スペードのKを捨てる。
「キャプテンってさ、どっかズレてるんだよね」
少し考えてから兎丸が山から一枚引く。ハートのKを捨てた。
「何だい、いきなり」
大して興味も無さそうに言い、牛尾は一枚引いた。それを手札に入れ、ハートのQを捨てる。
「”天才”」
兎丸は山から一枚手札に加え、クラブのQを場に伏せた。
「ノック」
「どういう意味?」
兎丸のカードが場に置かれる。ハートの2、スペードの2、クラブの2。スペードの4、ハートの5、ダイヤの6。ダイヤの8、クラブの9、クラブの10と、余りがダイヤのA。
「天才って他人と違う角度で物事を見るんでしょ?どうりでズレてるはずだよね、って話」
牛尾がカードを広げる。ハートのA、スペードのA、クラブのA。ハートの7、クラブの8、ハートの9。余りがダイヤの2、スペードの3、スペードの9。
「僕は天才じゃないよ、だからわからない」
牛尾はダイヤの2とスペードの3をそれぞれ付け札にした。
「自分で天才とか言ってたらひくよ。…僕が8点ね」
試合結果が目にも止まらぬ速さで携帯電話に打ち込まれるのを牛尾は見ていた。
三回目、兎丸、29点。
四回目、牛尾、3点。
五回目、兎丸、30点。
六回目、牛尾、16点。
七回目、兎丸、5点。
七回目終了時点で牛尾78点、兎丸72点。
八回目。牛尾がディールをする。最初の捨て札はハートの3。
「えらく長引いてきたね」
「もらうよ」
兎丸はハートの3を手札に入れ、ハートのKを捨てる。
「長すぎだよ、楽しくはなってきたけど」
牛尾が山からカードを引き、スペードの6を捨てた。
「かなり遅くなっちゃったね、迎えとかは?」
時計は既に七時半を指していた。兎丸がスペードの6を手札に加え、ハートのJを捨てた。
「大丈夫だよ、ちゃんと連絡してある」
牛尾は少し考え、山から一枚引いてまた少し思案し、そのまま捨てた。スペードのK。
「学校くらい自力で来れば?」
兎丸はすぐに山から一枚引き、クラブのJを捨てた。
「そうもいかないよ、家庭の事情でね」
牛尾は山から引いたカードを手札に入れて、ハートの5を捨てた。
「兄ちゃんと獅子川センパイが騒いでたよ。ぼくもキャプテンの家行ってみたい」
兎丸が山から一枚引き、そのまま捨てる。クラブの9。
「そのうち招待するよ」
そのクラブの9を拾って、牛尾はスペードの2を捨てた。
「ちょっと怖いけどね。金持ちは嫌いだし」
「はっきり言うね」
兎丸が一枚山から引いて一瞬表情を変え、手札に入れる。クラブの10を裏向けに置いた。
「ノック」
兎丸のセットは、ハートの2、ダイヤの2、クラブの2。ハートの3、ダイヤの3、クラブの3。ダイヤの5、スペードの6、スペードの7。余りはハートのA。
「1だよ」
「残念だけど」
牛尾のセット、ダイヤのA、スペードのA、クラブのA。ハートの9、ダイヤの9、スペードの9、クラブの9。スペードのJ、ハートのQ、ダイヤのK。
「なっ!?」
「ジンだよ」
何の嫌味もない笑顔で牛尾は言った。
「なんで宣言しなかったの〜!?」
「だって、この方がダメージきつくない?」
「もしぼくがジンならキャプテン負けじゃん!」
「それでも君は98点だ、100点に届かない」
「………」
「今ので僕が26点加算、合計104点で僕の勝ちだ」
「…悪趣味」
「悪趣味も無趣味よりはマシだよ、それじゃ、迎えが来てる頃だから」
「冷血漢」
「君は僕には勝てないよ、気を付けて帰るんだよ」
「ちょっ…!」
次の瞬間には部室に残っているのは兎丸だけだった。