POPTEEN

 たいていの学校がそうであるように、この学校もまた休み時間の廊下は騒然としている。まだ入学して2ヵ月も経っていないからだろう、廊下を歩く生徒にはまだまだ知らない顔がたくさんある。校則がゆるいためか校内には奇抜な格好をした生徒も少なくはない。しかし、どんな学校でもそうであるように、半分近くの生徒は制服規定にのっとったごく真面目な格好をして廊下を行き交ったり、一人で机に向かったりしている。大声を出して笑う女子のグループなどには目もくれず、一人黙々と小説を読んでいるような生徒を見ると、ああ僕はこの人と話すこともなく3年間を終えるのかと意味のない考えにふととらわれる。何秒か後にはその人の顔すら忘れているのだけれど。
 彼もどちらかといえばそういった類の人なのかもしれない。ただ外見が他の生徒を差し置いて目立っていたから、彼のことを知っている人は多いだろうとは思う。恥ずかしがり屋のくせにそんな外見をしている彼が僕には心底不思議に思えて仕方がない。
 教室に入るとやはり一番に目に入ったのは彼だった。窓際に座る彼の髪は陽の光にあたってますます明るく映え、晴れた日の綺麗な海を思わせた。彼はこちらに気付く様子などまるでなく、何か歌を口ずさみながらぼんやりと外を眺めていた。きっと洋楽だろう。1階の窓からは太い木の幹ぐらいしか見えないのに。
 彼に1階の窓は似合わないと思った。なぜそう思うのかを彼と知り合ったときからずっと考えていたのだけれど、それは多分、僕らの教室の窓からは空が見えないからだと思った。例えば3階の窓から見える透き通った空には、彼の髪はよく映えるだろう。
 「…くん」
 小さく声に出してみる。もちろんそれは休み時間の喧騒と海の向こうの誰かの音楽に遮られて彼には届かない。
 「シバくん!」
 今度は大きめの声で叫ぶ。彼は驚いたように振り向き、僕をみとめてゆっくりと微笑んだ。僕が大声で突き破った障害を、たったそれだけで乗り越える彼を少し腹立たしく思った。モノクロームのフィルターがバランスを取ってくれなければ、多分僕は彼と友達にはなっていなかったと思う。
 変わってるよね、とよく言われる。僕が、ではない。彼が、だ。実際、彼はかなり変わっていると思う。外見も、性格も。もちろん僕には彼の性格がわかっているわけではない。ただでさえ出会ってから2ヵ月足らずしか経っていないのに、彼はまるで喋らない。これでは彼の考えなどわかりようがないのだ。ただ変わっている、とだけは言える。なぜなら彼がまるで喋らないからだ。

 彼の元へ走り寄ると、彼はもう一度ゆっくりと微笑み、そしてゆっくりと手を差し出した。
 「何?」
 そう言おうとしてやめた。そこには幼稚園児でも描けそうな絵に描いたみたいな、黄色い包み紙に包まれた飴がひとつ、のっていた。
 飴を好きだと言った覚えはなかった。
 「もらっちゃっていいの?」
 ゆっくりと彼は頷いた。
 「ありがとう」
 彼はもう一度頷いた。
 お菓子を持っているのは、どちらかといえば僕だった。どちらかといえば、というよりも十中八九は僕だった。彼は間食をほとんどしない。だから彼は昼食以外の食べ物をほとんど持たない。だから、彼の口の中と手の上にある飴にはあまりなじめなかった。不自然な感じがした。
 「飴持ってるのなんてめずらしいね」
 彼はゆっくりと微笑んだ。何故持っていたのかを聞こうとして、やめた。この数ヶ月で僕が学んだのは彼に何故、とかどんなふうに、とかそういう質問をしてはいけないということ。それはそんな質問はしたところで意味がないというのもあるし、彼を困らせたくないというのもあった。どちらにしてもそれは彼がまったく喋らないからだ。
 「いただきまぁす」
 包み紙の、少し皺のよった両端をつまんでひっぱる。ねじれた部分が一瞬でまっすぐになって、そして包み紙の境目を開く。
 中には包み紙と同じ黄色の飴が転がっていた。
 「レモン味?」
 彼はうなずいた。それを横目で見ながら黄色い飴を口の中へ放り込む。少し酸味のきいたさわやかな甘さが口いっぱいに広がる。
 「僕レモンは嫌いだけどレモン味の飴は好きだよ」
 よく、見た目から周りに言われるのだけれど、僕は年のわりに少し幼い面がある。少しっていうか、かなりかもしれない。少し回りくどい言い方をしたけれどつまりは僕は単純に子供っぽいのだ。そしてその子供っぽさに準じて僕は酸味や辛味が大嫌いだ。我ながらなんでここまでガキなんだろうと思うこともある。けれど苦手なものは苦手なのだ。目の前にいる彼が熱いものが食べられないのと同じだ。

 「レモン味っていったらさぁ、キスだよね」
 しばらく飴をなめて、でも僕は唾液の分泌が悪いのかもしれない、飴はまだかなり大きいままだった。
 唐突にそう言った僕に彼はよくわからない、というような顔で首をかしげた。大きな飴を少し邪魔に思いながら話を続けた。
 「いや、なんかファーストキスはレモンの味がするとかよく言うじゃん?」
 ああ、というふうに彼は顔を上げた。
 「シバくんってキスとかしたことある?」
 ふと疑問に思った。出会って数ヶ月だけれど僕は彼の過去についてほとんど知らない。なぜなら彼が一度も喋っていないからだ。だから彼が中学までに誰かと付き合ったことがあるのか、本気で恋をしたことがあるのか、そういうこともまったく知らない。普通の男友達とたまにする恋の話も彼とはしたことがない。多少の下ネタの話もない。健全な男子高校生だというのに。
 彼は僕の質問に明らかに戸惑っていた。少し顔が赤くなって、すごく曖昧な態度をとった。図星なのか、こういう話に慣れてないのか、それすらもわからないくらいに曖昧だった。
 「えっ、もしかしてあるの!?」
 ねえ、ねえってば。その曖昧さが逆に興味をひきつけることも知らずに彼はずっと曖昧にはぐらかし続けた。こういうとき喋らないって便利だなと思った。僕はとにかく喋りすぎるのだ。秘密を作るのも一苦労なくらいとにかく何かがあると喋りたくて仕方がなくなる。
 喋らないと、その人にとって世界はどんなふうに存在するのだろう。誰にでも、多かれ少なかれ自分の世界というのは存在し、その世界が共存し合っていわゆる”世界”を作り出す。言葉はそのひとつひとつの世界をつなぐ唯一の線だと思う。ジェスチャーとかボディランゲージなんてものもあるけれど、基本的に人と人とのコミュニケーションは言葉を通じて行われる。
 自分の世界と”世界”をつなぐ線がなくなってしまったとき、その人にとって世界とはなんなのだろうか。きっとそれは自分が”世界”に存在しているというよりは、自分の前に”世界”が広がっているようなものなのだろう。彼は傍観者なんだ。自分の世界と”世界”を切り離して、自分は常に”世界”の外側にいる。”世界”にどっぷりと入り込んでいる僕なんかを傍観しながら、自分の世界にのみ存在しているのだろう。”世界”の中にいるふりをして。
 彼は結局はっきりとはしなかった。彼に合わせてイエスかノーかの答えしか出せない質問をするのが習慣になっていたけれど、そんな質問にもかれははっきりと答えないことがけっこうある。秘密主義なのか、なんなのか。
 「まあいいや、そのうちいろいろ聞かせてね」
 彼は曖昧に微笑んだ。彼の微笑みはなにか説得力みたいなものがある。まるで会話をしているような気分にもなる。

 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、せっかちな英語教師が教室に入ってくる。
 「飴、ありがとうね」
 彼の席を離れてすこし遠い自分の席へと向かう。まだ溶けきらない飴を奥歯でかみ砕き、何秒かの後には全て喉の奥に入ってしまっていた。
 後には初夏の空気と同じようなさわやかな風味だけがずっと口の中に残っていた。

2004.11.20