何かががさり、と動いた気がした。足を止めて振り返るとそこには生ゴミをくわえた猫がこちらを見つめていて、御柳はようやくそれが猫によるものだったのだと知れた。猫はそのまま道を横切って、どこか金持ちそうな家の庭へと飛び込んでいった。最近猫が増えた気がする。

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 御柳が一人でいることは少ないかもしれない。彼の周りには彼が望まなくても常に誰かがいる。それらの人々が御柳に向ける思いも様々で、例えばそれは単なる仲間意識だったこともあるし、憎悪の類だったこともある。そういう親しみとか恨みとかいうものを、彼はこう見えて鬱陶しがったりすることはあまりない。そのかわり興味も示さない。
 その日はとてもよく晴れた日で、とても晴れた昼で、彼は遅すぎる通学路を歩いていた。あくびを噛み殺すことなく、大きな歩幅でゆったりと歩く。それが彼の歩き方だ。意識はしていないはずなのに彼は足音を立てない。この場合は立たない、と言ったほうがいいのだろうか。とにかく彼には足音がなくて、気配まで消えていることもよくある。だから彼の周りにいる人間はいつも彼を猫に例えた。気紛れで人に懐かない猫だと。
 彼に友人が多いかどうかを判断するのは非常に難しい。顔見知りならたくさんいる。顔を知られている人間ならもっとたくさんいる。それは彼の顔が広いとかではなく、一方的な恨みとかそういうものだ。例えば一人の女の子を邪険に扱えばその友達にも恨まれることになるように、彼は全く知らない人間にまで恨みをかっていることが少なくない。だからといって彼が何かをしたか、といえば特に何をするでもなく、自分のやりたいことをして好きなように生きているだけだった。今も彼の知らない所で誰かが彼を呪っているかもしれない。けれど彼はコンビニで買い溜めしたガムを噛んで猫に気を取られたりしている。御柳芭唐というのはそういう男だ。

 彼の無気力が始まったのは中学へ入る頃だった。無気力、という表現が正しいかどうかは定かでないが、何に対しても中途半端な興味しか持たなくなったのが中学へ上がる前あたりだった。それまで人並みに熱中することもあったし、対人関係だって決していいとは言えなかったがそんなに酷いものではなかった。少なくともまだ他人に対しての執着心があったように思う。中学へ入る頃から彼は独りでいることが多くなった。周りには昔から人がたくさんいたけれど、彼はいつも独りだった。
 一人遊びのできない人間、というのがある。それは幼児期の頃から出てくる、単なる個性のひとつだ。小さな子供に積み木を渡したからといって皆一様に黙々と積み木を積んでいるかといえばそんなことはない。大人でも作れないような芸術的ともいうべき作品を作る子供もいれば、集中せずに人に向かって積み木を投げる子供もいる。他の子と一緒に作ろうとする子供や、他の作品を潰しにいく子供だっている。
 彼はその、一人遊びのできない人間だった。独りでありながら彼は一人で遊ぶことをしない。誰かを捕まえて喋るとか、遊びに行くとか、罵るとか、そんな風にして彼は他人とつきあっている。それでも彼は自分が独りであることを知っていたから、他人のこともおもちゃのようにしか思っていないのかもしれない。一人の子供がいて周りにたくさんのおもちゃがあるとき、その子はそれを使って楽しみ遊んでいるかもしれないけれど、その子は誰がどう見ても一人なのだ。それと同じことだ。

 学校へ着いたのは午前の授業が半分終わってしまったような時間で、彼は悪びれもせず無防備に解放されている正門から堂々と校内へ入っていった。私立の学校特有の立派な警備員室の中には二人の警備員がいたけれど、彼らは所詮教師ではない。通りすがりざま気怠そうに挨拶ともつかないような声を出した彼に反応し、「おはようございます」と形式だけの挨拶を返しただけだった。彼らはただ校内の安全を守るという名目でそこに座っていればいい。不審人物が入ってこないかをのんびりと見張っているだけの仕事をしているだけだった。
 学校へ着く時間によっては、彼はそのまま教室へ向かわないことがよくあった。そんなときどこにいるかというのもまた気紛れで、暑い日は冷房のある使われていない特別教室で涼んだりもするし、天気のいい日は中庭に寝転がって昼寝をすることもある。ただやはり彼は一人遊びができなくて、一人でいるときは寝ることくらいしかできないから、そんな憂さを晴らしに屋上へ上ることもある。そこにはほぼいつも彼の先輩がいて、紙飛行機を飛ばしたりしている。その先輩が最近彼にとってお気に入りのおもちゃだった。
 この日は屋上へは上らずに中庭へ向かった。中庭には一本の大きな桜の木があって、春には綺麗に花開くけれど、散り始めの汚らしい桜の木が彼は嫌いだった。傍目にも目立つ大きな木をなるべく視界に入れないようにして、中庭の隅にある細くて若い木の下に寝転がった。そこが彼のお気に入りの場所だ。そこは校舎内からも校舎外のどこからも死角になっていて、風が通りやすい。冬になれば寒いのかもしれない、と彼はぼんやりと思うけれど、まだ彼が高校へ入学してから冬は訪れていない。それは冬になったときに考えればいいことなのだ。
 上を見上げると、紙飛行機がおぼつかない様子で飛んでいくのが見えた。
 紙飛行機について彼は考える。彼の先輩は折り紙が好きで、よく紙飛行機を折る人物だった。彼には紙飛行機を作った経験よりも人の作った紙飛行機を握りつぶした経験の方が多い。ふわふわと漂い、飛んでいく紙飛行機を見ていると何故か彼はイライラした。
 彼の先輩の折る紙飛行機はとてもよく飛んだ。飛ぶか飛ばないかの基準を彼は知らなかったけれど、その先輩の紙飛行機は確かによく飛ぶものだった。手放しかけている意識のどこかで頭上を飛ぶ紙飛行機の軌跡を思い描く。どこかで曲がることなくまっすぐと飛んでいくのだ。寸分の狂いもなく、まっすぐまっすぐと。
 それを思うと彼はまたイライラとしてくる。彼は飛ぶものが嫌いだったのかもしれない。あるいはまっすぐなものが嫌いだったのかもしれないし、紙飛行機を飛ばすその先輩が嫌いだったのかもしれない。彼はあえて何に対しても好きだとか嫌いだとかいう境界線をつけなかった。そういうことをするのはある種人間の自己満足のようなものだと彼は思う。
 だから彼は、自分の好きなものを知らなかった。

 自分が落ちていく夢を——それは様々な落ち方ではあったが——そんな夢を彼はよく見る。よく、といっても毎日見るわけではないし、そんな夢に彼がうなされることもない。ただ落ちていく。そんな夢を見ている。
 夢には種類があって、それは例えば自分の願いだとか希望なんてものが反映されたような「いい夢」と、そうはなってほしくないとか、何かに取り憑かれたようにうなされるような「悪夢」とがある。彼が落ちていく夢を見るとき、彼はそれを「悪夢」だとは思わない。無論「いい夢」だと思うわけでもないが、落ちていくことに対して彼はどこかしら心地よさを感じる。底の無い穴の中を落ちていく夢を彼は見ていた。真っ暗で、何も見えなくて、速いのか遅いのかもわからないような落ち方だ。手探りで下へ下へと落ちていく自分をどこか遠くで眺めていた。これは、こういうのは何というのだろう。
 落ちて落ちて、落ちきった場所には何があるのだろうと彼は思う。そこにあるのはまず”死”ではない。幾度も彼は高い場所から、あるいは低い場所へと落ちていったけれど底のあるなしに関わらず彼は一度も死ななかった。ならば、落ちることに恐怖心も感じずむしろ心地よささえ感じている自分は、なぜここまで落ちなくてはいけないのだろうか、と。そしてその答えは知らない方がいいだろうと思うことにしている。堕ちて堕ちて、堕ちきった場所に何があるのかということは彼が堕ちきってから見ればいいことだ。

 脈絡の無い生活を彼はこれからも続けていくのだろう。野良猫のように、自らの欲求に従って行動をする。一人遊びができなくても楽しめるおもちゃを彼はたくさん持っている。だから彼はこの後目覚めれば普段通り部活へ向かい、適当に遊んで帰っていくのだろう。薄れかけた思いの中でそれでも部活へ向かうのは一種の習慣で、彼にとっては例えば野良猫がゴミ箱をあさるのと大して変わりないことだった。
 そして彼はそんな生活を繰り返しながら、徐々に底のない穴へと堕ちていく。その先にあるものは多分彼には一生見えないのだろう。

2003.1.31