覚えている限り、故郷は雪の中に埋もれていた。日本には四季があって、だから一年中雪に閉ざされたところなどないと今は知っているけれど、それでも故郷を思い出すときそこはいつも雪に覆われていた。ただし、そこを故郷、と言ってもいいのかどうかはわからないけれど。
 少し昔話をしようと思う。あんまりいい記憶じゃないんだけど、でも話そうと思う。

SNOW DANCE

 16年前、まだ寒さの残る3月の終わりに俺は生まれた。我が子の誕生を心待ちにしていた父親は、俺を見るなり絶句した。のだそうだ、生まれたときの記憶なんて無いからこれは母ちゃんが言っていた話だ。早くそれを捨てろ、そんなのは俺の子じゃない、父親はそう喚きながら部屋から連れ出されたという。
 俺は生まれた瞬間にまず父親の愛情を失った。それは多分この人生を振り返ってもとても重大な出来事だったのだと思う。
 母ちゃんは泣いた。らしい。俺の姿にではなく、父親の態度に。
 退院するまで父親は一度も病院へは来なくて、母ちゃんはとにかく寂しかったと言っていた。受け入れがたい現実に泣いて、でもあるとき赤ん坊の俺が泣いている母ちゃんに向かってそれはそれは極上の笑みを向けたそうだ。それで吹っ切れた、と母ちゃんは言っていた。
 母ちゃんはとても強い。それは多分親だからそう思える、とかじゃなくて、本当に強い女の人なんだと思う。母ちゃんが泣いているのを見たのは思い出せる限り3回だけだ。父親の実家に居場所が無くなっても、都会へ出て詐欺にあったときも、母ちゃんは笑っていた。
 「あんだがいれば何でも耐えられるべや」
 それが母ちゃんの口癖だった。

 俺は小学校に上がるまで外の世界をほとんど見たことがなかった。山と雪に囲まれた、田舎の中途半端に由緒のある家だったからか、家の人たちはみんなで俺を隠した。俺の故郷みたいな閉鎖的な社会では偏見とかそういうものは致命的なくらいに幅をきかせていて、遺伝、って言葉を聞いただけで家族が孤立してしまうことだってありえた。
 家の中に閉じこめられて、皮膚が弱いからと窓ガラスには紫外線を遮るフィルターが貼られていたため俺はいつもすこし曇ったような外の世界を見ていた。遠くの方で雪合戦をしている同年代の子供の声がしていた。
 もしかすると、俺は不幸だったのかもしれない。でも自分と比べるべき対象を持たなかった俺には、不幸かどうかを考えることもできなかった。
 食事はいつも母ちゃんと2人で、俺の部屋で食べた。当時その家には他に父親とばあちゃんとじいちゃんと父親の妹が2人、住んでいて、みんなはちょっと広すぎるくらいの食堂で、まるで俺と母ちゃんなんていないみたいにして食事をしていた。実際に数年前まではそうだったんだから、きっと彼らはあんまり違和感とか感じてなかったんだと思う。もしかすると母ちゃんは俺が生まれて心底ほっとしたのかもしれない。そんな空間に一人ぽつんと、あまり裕福でない家から嫁いできた母ちゃんはきっと肩身が狭かったんだろう。
 「綺麗な色やねぇ」
 俺の頭を撫でて目を細める母ちゃんは多分幸せそうだった。だから俺も多分幸せだったんだと思う。父親とはほとんど会ったこともなかったけれど、世の中には父親のいない人間なんてくさるほどいる。
 母ちゃんは俺を愛してくれた。だから俺は幸せだったんだろう。少なくとも小学校に上がるまでは。

 幼稚園に行かなかった俺は小学校で初めて社会ってものに触れた。そこにはたくさん人がいて、大きかったり小さかったり、喧嘩っ早かったり泣き虫だったり、ずっと家の中に籠もりきりだった俺には何もかもが新鮮だった。
 でもやっぱり子供ながらに異端な者がいればやっぱりそれは好奇とか、あるいは畏怖とか、そういう対象になるのは仕方がないらしくて、
 「白春くんはなんで髪の毛そんな色さしでるん?」
 何回か、何人かに聞かれて俺はうまく答えることができなかった。それで、小学校では友達が一人もできなかった。
 あだ名だけはたくさんあった。雪夜叉、とか雪男、とか雪だるま、とか(別に太ったりしてなかったのに)とにかく白いモノは全部俺のあだ名になった。奇遇なことに雪の多いこの土地では白なんてあたりまえにそこらじゅうにあった。
 ただひとつ救いだったのは、(みんな触りたくなかっただけかもしれないけれど、)小学校では直接的ないじめなどはなかったということだ。ただみんな遠巻きに俺のことを見ていて、俺が何かをすると笑ったりした。けれどそれを悲しいと思うことは不思議とあまりなかった。家の人はもっと冷たい目で俺を見たし、俺に向かって笑いかけてくれたことなんてなかったから。きっと俺は何もかも感覚が狂っていて、でも普通の感覚なんて持っていたらとてもじゃないけどやってこれなかったと思う。多分これは自然と身につけた防衛手段だったんだ。
 母ちゃんには友達ができないことを言わなかった。一度も「友達と遊びに行く」と言わない息子は、母ちゃんの目にはどう映っていたのだろう。

 あれは何年生の頃だっただろうか、理科の時間にビデオを見たことがある。そのビデオはよくある小学生向けの生物のふしぎ、みたいなビデオで、世界の珍獣がテーマだった。
 「あれ、白春だべ」
 誰かがそう言って指を指したのは全身真っ白なヘビだった。
 『このように真っ白な動物のことをアルビノ個体といって、突然変異によって生まれるとても珍しい動物です。とてもきれいですがアルビノ個体は皮膚ガン等にかかりやすく、平均寿命が通常の個体よりも短くなっています。アルビノ個体はチロシナーゼという…』
 あのときの居心地の悪さは、なんと言って良いのかわからない。なんで先生はこんなビデオを、とも思ったし、それは自分の病名を初めて知ったときでもあった。
 「オラ、もう死ぬべさ?」
 家に帰って一部始終を話すと、母ちゃんは突然泣き出した。つらかったろうに、ごめんねぇ。何故か母ちゃんは何度も何度もごめんね、とくり返した。辛がったらもう学校さ行かんでええからね。あんだは死なんよ、おらの子だはんで、丈夫な子だっちゃ。
 それが初めて見た母ちゃんの涙だった。俺はといえば母ちゃんが何故そんなにも泣くのかわからずに、ただいらないことを言ってしまったという罪悪感だけでいっぱいになって、何回も謝った。親子2人でごめんねを言い合う様子はさぞかし滑稽だったことだろう。

 雪は好きだった。真冬には身長の何倍もの雪が積もったけれど、そんな中にいるととても落ち着いた。俺の髪だとか肌だとか、そんな白はちっぽけなものだった。

 中学では全員部活動に入らないといけなかった。あまり日光の下にいるのはよくないから室内競技とか文化系のクラブにしようかとも思ったけれど、何故か野球部に入った。なんで野球部にしたんだろうと後から考えて、それは多分たまに廊下を通ると居間の扉の向こうにナイター中継を見ている父親がいたからかなとなんとなく思った。父親に愛されたいなんて欲望はもうなかったし持っても無駄だということを十分にわかっていたけれど、俺にとって野球といって思い出されるものはそれしかなかったからきっとそれだったんだろう。
 でもちょっと、変化はあったかもしれない。父親はたまに母ちゃんに俺の中学での様子を尋ねることがあったらしい。相変わらず俺とは目も合わせてくれなかったけれど。
 中学生は小学生より好奇心や無邪気さがなくなって、そのかわりに変な連帯感とか世間体とか、そんなどうしようもないことを気にし始める。
 中学に入って、俺に向けられる目は好奇とか、そういった純粋なモノだけではなくなってしまった。
 幸か不幸か、野球は意外と俺の体に合っていたようだった。多少他の人とはやり方が違ったけれど、田舎の中学の中で野球において目立つのはそんなに難しくなかったように思う。
 いわゆるいじめというものに遭遇したのはその頃だ。髪の色は病気云々ではなくむしろ「生意気だ」と上級生に目をつけられ、真夏でも長袖を着ていると「やる気がない」と言われた。それで野球がうまいほうだったから、俺は奴らにとって格好の餌食だった。
 制服をどろどろにして帰ってくる息子を、今度は母ちゃんはどんなふうに見ていたのだろう。俺はまた何も言わなかった。
 今思えばあの頃母ちゃんも自分のことでいっぱいいっぱいだったのかもしれない。俺が生まれて以来ほぼ冷え切っていた夫婦関係は確実に終わりへと進んでいた。

 中2の冬だった。
 俺はその日も散々な目に遭って、練習の疲労と相まってくたくたになった体で帰路についていた。朝から雪が降り続いていて、この冬に着実に積み重ねられた雪の層と共にわけがわからないくらい町は白く覆われていた。空から舞い落ちる雪は体のあちこちに張りついたけれど溶けることはなかった。
 家の近くには田園が広がっていて、冬は使い物にならないそこにも一面雪が積もっていた。綺麗だ、と思った。
 昔、一面に積もった綺麗な雪が好きで、よく田圃に遊びに行っては母ちゃんに叱られた。危ないから、そう言われても綺麗なものは綺麗で、怒られても怒られても何回だって家を抜け出した。小学生の頃の話だ。
 少しだけならいいかな、そう思って、眩しいくらいに真っ白な田圃に足を踏み入れた。
 この体を恨んだことがないといえば嘘になる。このせいで父親には見捨てられるし学校でもいじめられるし、ちゃんと色素があったならどんなにか生きていくのは楽だっただろうとは思う。でも、たとえば雪の中にいるその瞬間、自分も雪に溶け込んでしまって俺という人格は消えて、自然と一体化したような、そんな瞬間だけは好きだった。
 雪の中に寝転がって空を見上げるとあとからあとから粉雪が舞い降りてきた。雪の白さはこんなに綺麗なのに、俺は確かそんなことを考えていた。なのに何故俺は、俺の白はだめなんだろう。
 雪はあとからあとから降ってきて、俺の上にもどんどん積もっていった。このまま死んでしまったら、俺は思った。この雪に紛れて静かに眠り続けられたらどんなにか心地がいいだろう。それはとてもいいアイデアのように思えて、俺は目を閉じた。
 自殺願望を抱いていたとかそういうことじゃない。ただこの雪に埋もれてずっと安らかに、誰に傷つけられることもなく眠っていられたらどんなにいいだろうと、そう、思った。

 どのくらいそうしていたかはわからない。夢うつつの中で聞き慣れた声が響いて、誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。
 「白春!」
 母ちゃんだった。
 「あんだ何しでんの!」
 何か母ちゃんが怒鳴り散らしているのはわかったけれど、内容はよくわからなかった。それは母ちゃんがものすごく取り乱していたからかもしれないし、俺の意識がはっきりしていなかったからかもしれない。多分その両方だった。
 とりあえず母ちゃんは何かをわめいていて、でも気付くと泣いていた。泣きながらごめんなぁ、ごめんなぁとくり返していた。いつかの風景と重なる。
 「母ちゃんなぁ、父ちゃんと離婚さするごとになったべや。今話しさしどったんよ。あんだには遅すぎだかもしれんねぇ、ごめんねぇ」
 この町を出ようと凍えた俺を抱きしめて母ちゃんは言った。俺はといえば凍えたせいか眠り込んでいたせいかやっぱり意識がはっきりしていなくて、雪が綺麗だとぼんやりと見ていた。それで、町を離れると言われて、この雪ももう見ることができなくなくなるのかと、ぼんやりとそんなことを考えていた。
 幸せになろう、母ちゃんは言った。それが俺の見た2度目の母ちゃんの涙だった。

 「白春」
 「んだ?」
 此処へ来てもう3年が経とうとしている。
 「あ〜、また鼻水垂れてるし」
 高校に入って、友達ができて、ついでに鼻炎になった。都会の空気は怖い。
 「監督が呼んでた気だよ」
 「監督?」
 故郷を捨てて、今は母ちゃんと2人暮らしだ。母ちゃんはあそこにいたときよりも生き生きとしていて、俺も今の生活は気に入っている。
 髪のこととか肌のこととか言われなくはないけれど、でも此処では黒くない髪は珍しくないし(さすがに白はあまりいないけれど)多くはなくても受け入れてくれる人たちがいるからもう何も気にはならない。
 名字が変わって住所が変わって、俺はもう一度生まれた。父親に見放されたあの日じゃなくて、もう一度この世界に生まれたような、そんな気分だった。

 これが俺の故郷の話だ。あまり故郷だとは思ってないけれど、過去を消すことは現実から目を背けることだから、此処へ来て3年経った今は一応あそこは故郷だと思うようにしている。
 余談だけれど3度目に母が泣いたのは俺が初めて華武のレギュラーに選ばれたときだ。さらに余談だけれど去年、甲子園の出場が決まったときに一度だけ父親から連絡があった。俺は出なかったけれど。

2006.7.26