仁王とのセックスは、全体を通してジャズみたいだと思う。少し気怠くて、けれど軽快で痛快。だから俺は土曜日の夜にだけ部屋の窓の鍵を開けておく。仁王は猫みたいに二階まで登って現れる。警備会社仕事しろと思わないでもないけれど、大方の仕組みを教えたのは俺だった。
 時折学校の屋上でも抱き合ったりするけれど、俺は土曜の夜の仁王が一番好きだ。ジャズってたぶんそういうものだと認識している。

 そんなわけで今夜のステージが始まります。仁王雅治フューチャリング俺のサタデーナイト・ジャズ。どうぞお楽しみあれ。

サタデーナイト・ジャズ

 「初めてって、男?女?」
 「何じゃいきなり」
 腹筋を撫でていた仁王の手が止まる。見上げてくる気配がするけれど俺は絶対に目を合わせない。何というか仁王の目は爬虫類っぽくて、あまり好きじゃない。あの目がいいよね、なんて頭の悪そうな女子が騒いでいるのを聞いたことがあるけれどどれだけ趣味が悪いんだと思う。
 「なあ、どっち」
 「……女」
 面倒くさそうに仁王が答える。これまた爬虫類めいた舌が脇腹を這ったから、俺と目を合わせることを諦めたのだと知れる。そもそも合わせたいとも思ってなかったんだろう。
 「立海の子?」
 「違うぜよ」
 「じゃあ誰?」
 「姉貴の友達」
 「へえ、何ていうか、ベタだね」
 「そうか?」
 「ヤリチンへの道、ケース三、て感じ」
 「何じゃそれ」
 話す度に仁王の吐息が肌に触れる。低い体温から吐き出される息は少しだけ冷たくて、こいつ本当に哺乳類じゃないんじゃないかなんて思考が掠める。身体を白蛇が這う様を想像して、不覚にもちょっと興奮した。
 「じゃあ男の初めては?」
 「……秘密」
 「え、俺の知ってる奴なんだ」
 「なんでそうなるんじゃ」
 「なるだろ。なあ誰?先輩?」
 「そんなん聞いてどうするんじゃ」
 「別に、お前だけ俺のこと知ってるのムカつくし」
 微かに愛撫が止まる。何だかなあ、そういうところ詰めが甘いよね、お前って。気取られないようにかすぐに再開させたけれど、もう遅い。

 俺の初めてのセックスは暴力だった。生意気な後輩、足す、華奢な体、足す、中性的で綺麗な顔、イコール。反吐が出るくらいに簡単な方程式だ。ネットを挟めば既に俺の方が強かったけれど、成長期も終盤に差し掛かった奴らが何人も束になれば抵抗なんてあって無いようなものだった。毛も生えていないような性器を弄られ、出口だと思っていた場所から入られ、ただ恐怖と苦痛と気持ちの悪さだけが体に纏わり付いて、あまり具体的な記憶はない。
 そのままいけば立派なセックス恐怖症になれただろう俺に手を伸ばしてきたのが仁王だった。一年生の終わり、まだ仁王はレギュラーじゃなくて、ちょっと得体の知れないただの同級生だった。なのに何故か俺が先輩にされたことを知っていて、ある日屋上で花の世話に精を出していた俺に近付き試すように手の甲へとキスを落としやがった。あの瞬間ほど仁王が爬虫類めいていたことはない。その頃俺は自分に恐いものがあるということに我慢がならなくなっていて、しかもそれを手段として他人に優位に立たれるなんて絶対にあってはならないことだと思っていた。だって俺は幸村精市だから。それならばと震える心を抑えて逆に唇を奪ってやれば、虚をつかれたような間のあと触れた端がニヤリと上がった。細くて長い指が繊細に這いずり回る感覚は思っていたほどの嫌悪感を与えることなく、慣れた手つきで解され入られても恐怖はなかった。俺は彼から確かに快感の端切れのようなものを与えられ、トラウマを払拭することに成功した。
 それからもう二年近く、俺は仁王とジャズのようなセックスを続けている。

 結局仁王からの返事はなくて、仕方がないから指の動きに集中することにする。今は腰骨の辺りを撫でている。
 俺は仁王の目も舌も吐息も好きじゃないが、指だけは別だ。節くれ立った細長い指は決して綺麗とは言えないけれど、楽器を弾くみたいに滑るからきちんと踊ってやろうと思える。四弦とか弾けば絶対セクシーだと思うのに、音楽が苦手だとか勿体ないことを言う。まあ確かにリコーダーには向かないだろう。聞いたことはないけれど歌が下手なのかもしれないし。そういえば仁王の声ってどうなんだろう。低くも高くもない。少し湿っぽい。ロックには向かないかな。ブルースとかなら似合う気がする。好きかと聞かれれば、こんな場面で喋らせるんだから嫌いじゃないんだろう。そう思ったら声が聞きたくなった。
 「なあ、入れるのと入れられるの、どっちが好き?」
 「何なん、さっきから」
 「データ収集、みたいな?」
 「みたいな、違うわ」
 「どうなんだよ」
 「別にどっちでも」
 「ちゃんと答えてくれないかな」
 「幸村」
 順調に軽快に降りていた身体を引き上げて、仁王が俺を覗き込む。それでも絶対に見てやらない。仁王が入ってきた窓の外に視線を逃がすと満月が浮かんでいた。まともに月を見たのは何だか久しぶりな気がした。入院していた頃は毎日眺めていたから、今の日々が充実している結果だと思うことにする。
 「もう黙りんしゃい」
 「なんで」
 「萎える」
 「失礼な奴だな、俺のどこに萎える要素があるっていうんだ」
 「喋っとる内容じゃ内容」
 「だって暇なんだもん」
 「暇って、お前さん」
 投げ遣りに溜息をついて、顎を掴まれキスされた。まあ妥当な選択だと思う。爬虫類の舌が気怠く絡み付いて、気持ち悪さと気持ち良さが入り交じる。一瞬流されそうになるけれど、そうやって俺を黙らせるつもりなら絶対に従いたくない。肩を押し返して身体を離す。仁王は不満気な顔で俺を見下ろしてきた。ここで初めてその目を見返す。うん、やっぱり好きじゃない。
 「じゃあ仁王から話題振ってよ」
 「喋る必要ないじゃろ」
 「あるよ」
 「気が乗らん言うなら帰るぜよ」
 「乗ってるさ、だから喋るんじゃないか」
 暫し仁王は俺を睨みつけていたけれど、やがて諦め耳に噛みついてきた。また上からかよ律儀だな、と思ったが手は先に滑り落ちて股間に到達したから、何も言わないでおく。ちゃんと俺が興奮してることもわかってくれただろうし。
 「んじゃ真田のセックスってどんなん」
 「内容あんま変わってなくない?」
 「変わっとるよ」
 お前にとってはね。心の中でだけ納得してやる。仁王は自分のことを聞かれるのが嫌いで、だから俺は仁王のことを聞くのが好きだ。そんなに仁王のことを知りたいかと問われれば微妙だけれど、土曜の夜の仁王はいつもより答えてくれる気がして、そんな人間臭さがちょっと面白い。
 でもいいさ、俺はお前と違って自分のことを話すのは嫌いじゃないから、譲ってやるよ。俺の好きな仁王の指が音楽を奏でるように性器や肛門を滑って心地良い。だからきちんと答えてやることにする。
 「真田ね、すごいよ」
 「どう?」
 「風林火山で言ったらずっと火って感じ」
 「まあ大体想像つくのう。それって疲れん?」
 「疲れるよ、滅茶苦茶。週一もしたくない」
 「俺より少ないんじゃな」
 「そうだね」
 真田のことを考えると興奮が高まる気がした。俺を握り込む仁王にバレてやしないかと一瞬ヒヤリとする。まあ、バレたところで何ってこともないんだけれど。

 物心ついたときからの付き合いである真田から、単なる友人に収まらない感情を見付けたのは随分前のことだった。けれど彼自身その正体を自覚していないようだったし、ずっと放置したままにしていた。関係性が変わったのは長い入院生活を終えた後だ。俺から仕掛けた。闘病生活の間に真田は見ていていっそ痛ましいくらいに俺のことで頭がいっぱいになっていて、事あるごとに声を荒げたり涙を堪えるような仕草をしたりした。俺はそんな彼を見ていられなくて、救済するつもりでその手を取った。
 初めての愛あるセックスはただひたすらに重かった。音楽で喩えるならオペラだろうか。それもものすごい悲劇の。与えられる感情の濁流に溺れそうになり、たぶん俺じゃなければあまりの深さに殺されていたと思う。腹上死、それも男相手になんて末代までの恥だ。俺が受け止められたのは、驚くべきことに俺も彼を愛していたからだ。抱かれて初めて気がついた。俺は真田を愛していた。
 大事なことだからもう一度言う。俺と真田は愛し合っている。きちんと本気だ。憎んでいる気がすることさえあるほど溺れている。さてここで問題です。それでも俺が仁王とセックスを続けるのは何故でしょう?

 「意外っちゃ意外やの。もっとヤリまくっとるんか思っとったぜよ」
 「真田とはセックスしなくても愛し殺されそうだからそれで十分なんだ、お前と違って」
 ガリ。脇腹に僅かな痛みが走って、仁王が歯を立てたことがわかった。何?怒ってんの?からかうように言うと同じところにもう一度噛みつかれた。馬鹿が、痕が残ったらどうしてくれるんだ。
 「心配しなくても仁王のセックスは大好きだよ」
 わざとらしく囁いてやると仁王も顔を上げてわざとらしく笑った。こんな茶番を飽きもせずに二年近く続けてるんだから、俺も仁王も大概頭が沸いてるなあ、と思う。
 「なあ仁王、そろそろ」
 「おん」
 本日の演奏がラストスパートを迎える。土曜の夜はやっぱり仁王だな、と思う。もし真田だったら本当にそのまま死んでしまうかもしれない。真田とは日曜の日溜まりの中で抱き合うくらいが丁度いい。あ、そういえば明日真田と約束しているんだった。きっと愛しいあの男はもう眠りについているんだろう。おやすみ、マイスイートダーリン。

 仁王は俺のことが好きなんじゃないかと思っていた時期がある。抱き合い始めの頃だ。たぶん仁王もそう見せようとしていたんだと思う。その方が色々と便利だからだ。
 けれどそういうわけじゃないって気付くまでにあまり時間はかからなかった。恋愛を一個人への執着と定義するなら、仁王が好きなのは真田だ。もちろん本人は絶対認めないだろうけれど、俺はもうほとんど確信している。
 色々と偽装してはいても仁王の根底にあるものは大抵驚くほど幼くて純粋だったりする。手に入らないおもちゃを欲しがる子供と同じで、仁王は自分の思い通りにならないものほど執着する傾向がある。テニスが良い例だろう。
 俺が今でも仁王に抱かれ続ける理由はそのあたりにある。例えばある程度俺を擬似的に支配させることで俺自身が愛されることを回避している。それから、真田のものである(と言えば少し語弊があるけれどとりあえずこう表現しておく)俺を抱かせることで、真田に関する劣情を軽減させてもいる。つまるところ真田を譲る気なんてこれっぽっちもないってことだ。もちろん仁王が真田への恋に気付いて行動を起こしたとしても、心底俺に心酔している真田が靡く可能性なんて皆無だ。しかしながら仁王は真田みたいな愛すべき馬鹿を騙すことにかけては天才だから、どんな事故が起こるかわからない。だから俺は仁王に抱かれる。そりゃあジャズ的な仁王のセックスが好きだということも理由の一つではあるけれど。

 セックスが終われば仁王はまた猫みたいに窓から去っていく。当たり前だ。日曜の朝を仁王と迎えるなんてありえない。
 「おやすみのちゅーする?」
 窓枠に上った仁王が戯けて振り返る。その外にある満月が似合わなすぎて笑いそうになった。せめて三日月なら絵になったかもしれないのに。三日月といっても爪の先みたいな細いやつ。お前の笑顔にぴったりだよ。
 「馬鹿なこと言ってないでさっさと帰れ」
 「厳しいのう」
 なあ、お前って、真田が好きなんだろ?聞いてみたくなるけれどグッと堪える。もし聞けばどんな表情を浮かべるのだろう。顔を顰める?放心する?それとも爬虫類みたいに笑う?いずれにしたってまともな答えは返ってこない。だって土曜日の夜は終わってしまったのだし。
 仁王は爬虫類の笑顔を最後に、猫みたいに消えていった。いくら俺を抱いたってお前の一番欲しいものは手に入らないんだ、ごめんな。そう心の中で謝りながら、窓の鍵を下ろす。

 本日の演奏はこれにて全て終了です。演奏者は仁王雅治くん、ご清聴ありがとうございました。

2012.8.22