人生がこんなに素晴らしいと思ったことはない。神様仏様閻魔様、何一つ信じてこんかったけど今ならいくらでも感謝してやるぜよ。この世界を作ってくれてありがとう。この素晴らしき世界に俺を生み落としてくれてありがとう!
少し取り乱し過ぎたかの。深呼吸してテンション落とすけぇちょっと待ちんしゃい。まず先に何が起こったかだけを簡潔に言っておこう。
俺は、真田に、抱かれた。ピヨッ!
やばい、言うたらまたテンション上がってきたっちゃ。仁王雅治、性別は男、謎の方言と口元のホクロがチャームポイントのもうすぐ十五歳、テニスの腕前は中学生なのに高校選抜に呼ばれてしまう程度、泣かせた女は数知れず、落とした男も数知れず、思春期真っ最中の博愛主義者。そんな仁王雅治くん、遂にあの皇帝・真田弦一郎に抱かれてやったぜよ!
取り乱して悪かった。次こそきちんと落ち着く。方言もやめる。話はさっき言った高校選抜合宿で、凌ぎを削ってきた相棒にまんまと嵌められ速攻強制送還されたところから始まる。
人のセックスを嗤うな
着いたと思ったら即退場になった合宿所を出るバスは、俺の住む海辺の街ではなかなかお目にかかれない高い崖に辿り着いた。何でも登ればテニスを続けられるとのこと。周りになかなか認めてもらえないが、俺はテニスだけは本当に本気で大好きだ。もちろん登った。命綱など無く落ちたら人生ごと終わるスリル満点のロッククライミング。悪くないイベントだった。
二十七人全員で無事崖を登り切った俺達を待ち受けていたのは、イレギュラーバウンドどんと来いな粗いテニスコートと、修験者もどきのアル中コーチだった。なんでも此処で野宿をしながら特訓するのだという。昭和か。四天宝寺の連中がベタな突っ込みを入れていた。
周りの誰も気付かなかっただろうが、俺はもうヤル気満々だった。何故ならこの合宿には絶対に倒してやりたい奴が何人もいたからだ。俺に公式戦で初めての黒星をつけやがった不二周助。最高の相棒だと思っていたのに、いつからか気付いていた俺の弱点をずっと黙っていたどころか、それを使ってあっさりと出し抜きやがった似非紳士。それから、結局中学三年間一度も勝てなかった立海ビッグスリー。おや、挙げてみれば身内ばかりじゃないか。まあ俺達は手塚が七人の集団だしな。そうだ、手塚といえばあの忌々しい不二周助にイリュージョンをダメ出しされた屈辱があるから、その完成も目標に入れよう。とにかく俺はヤル気満々だった。
特訓内容は穴を掘るとか激流を下るとか鷲から逃げるとか実にファンキーだったが、それでも俺は頑張った。だってテニスで強くなりたいから。倒したい奴がいるから。俺がこんなに熱い奴だなんて誰も気付きやしない。本気を気取られない特訓ならば昔からずっと重ねてきた。
と、一瞬忘れるところだったがこれは決して俺のテニスに対する情熱を語るための話じゃあない。あくまで俺が真田弦一郎に抱かれるに至るまでのサクセスストーリーだ。本題へ移ろう。
この崖の上にいるのは、騙し討ちに近い方法で行われたペアマッチで負けた人間ばかりだ。約二名どこぞの馬の骨も紛れ込んでいるが、基本的には負け組だ。その負け組に、なんと立海ビッグスリーの一角、件の皇帝・真田弦一郎が混じっていた。
中学テニス界最強とも謳われたこともある真田がこの負け組に所属することになったのは、偏に彼の更に上を行く我らが立海大附属中学校男子硬式テニス部元部長、神の子・幸村精市と対戦してしまったためだ。それはもう悲惨な試合だった。完敗中の完敗、といっても第一試合で早々に追放が確定した俺は直接見たわけではないのだけれども、とにかく酷かったらしい。
ここで整ったのが幸村が勝ち組として設備最高の合宿所に残留し、俺と真田が負け組として崖の上で寝泊まりするという舞台だ。これをよくよく覚えておいてもらいたい。
そしてもう一つ、重大な前提条件を提示する。幸村と真田は所謂恋人同士と呼べる間柄であり、俺と幸村はなんと二年近くにも渡るセックスフレンドだ。男ばかりのむさ苦しい三角関係、信じられないかもしれないが、これもよくよく覚えておいて欲しい。
さて、話を先へ進めよう。
テニスで強くなるため特訓を重ねていた俺達であるが、少し見方を変えれば思春期真っ只中の中学生が集団で野宿をしているのである。つまりある程度早熟な者には深刻なとある問題が浮上する。性欲処理だ。女はまったくいない。堂々と自慰行為を行うわけにもいかない。こっそりと皆から離れて抜きに行く者もいただろうが、基本的にこれは死活問題だった。
俺も例に漏れず溜まりに溜まっていた。しかも俺はバイセクシャルだから、性的対象が周りに溢れていたこともまずかった。
俺は途方に暮れた。崖の上に来る途中で思いがけず手に入れた下僕・樺地に相談してみたってウスしか言わない。ごめんな樺地、俺は面食いだからさすがにお前じゃ勃たないんだ。お前は本当に心の優しい良い奴だよ。他人のモノマネ能力は俺の方が上だけどな。
ここで俺は自分のモノマネ能力、もとい、イリュージョンの存在を思い出した。
イリュージョンを使えば、誰かとセックスできるのではないか。溜まる一方の性欲は俺に馬鹿みたいな思考を植え付けた。
それにしたって俺は女にイリュージョンできない。いや外見ならなんとかならなくもないが、セックスとなると無理だ。だから自然と男と寝られる男を捜すハメになる。
まず注目したのは四天宝寺の一氏・金色ペアだ。だがこれはすぐに却下した。何故なら二人とも崖の上にいるから、バレるリスクが高い。あと付け加えるとするならば、タイプじゃない。ごめんな。
その他に他校の性癖情報なんてない。だったら我が立海ならばどうか。参謀とジャッカルはノンケであることを既に確認済みだ。ここでようやく俺はものすごいことに気がつく。
真田だ。
灯台下暗しとはまさにこのこと。幸村を抱いている真田がいる。
そもそも元より俺は三強に物思うところがあった。あの三人は絶対的テニスの実力でもって、いつも雲の上で涼しい顔をし続けてきた。対する俺はしがないただの平部員。その状況は俺にある苦い記憶を思い出させた。
俺は昔から本音を素直に言えない子供だった。校庭や公園で遊ぶ子供達に混ざりたくても、それを言い出す勇気がなかった。トゥートゥーシャイボーイだったわけだ。結果俺が身につけたのは本音を曝け出す度胸ではなく、それを隠し通す狡い知恵だった。その完成形のひとつがイリュージョンだといえる。だから俺はいつも一人だった。
三強が醸し出す彼ら特有の世界観は、俺にそんな物悲しくも幼い疎外感を思い出させた。俺は彼らを注意深く観察した。執拗に目で追った。そのうちなんとなくの関係性が見えてきて、まず参謀は単なる傍観者であるという結論に至った。彼はライフワークのように幸村と真田を観察し、彼らの微妙な関係を愉しそうに見守っているだけだった。その世界にいることを許されたにも関わらずそんな態度であることは俺を苛つかせたが、だからといって介入などできるわけがなかった。ひとまず参謀への執着にはここで一旦区切りがついた。
そして自然と俺の目は幸村と真田に向くこととなる。真田が幸村に愛憎入り混じったものすごい感情を抱いていることはすぐにわかった。対する幸村は分析に時間がかかったが、真田の感情を時に受け流し時に受け入れ、絶妙に甘美な世界を構築している張本人なのだと俺は結論付けた。
俺は彼らに憧れた。個々のテニスにおける実力と、その美しい世界の両方に焦がれた。嫉妬に狂った。
けれどシャイボーイな上にテニスでも敵わないこの俺が、「君たちの世界に入れて欲しい」などと言えるはずはなかった。だから別の手段で近付くことにした。
真田は得体の知れない俺を嫌っている節があったし幸村で頭がいっぱいのようだったから、先に幸村の攻略へと取りかかった。幸運にも切り札はあった。幸村にはある後ろ暗い思い出とそれに付随するトラウマがあって、それを利用しない手はないと思った。俺にとってそういう狡さはもはや一種の美徳だったから、罪悪感なんて全く感じなかった。
果たして、幸村は俺の予想以上に乗ってきた。罠を罠と知って俺を受け入れてくれた。初めて幸村を抱いたときの喜びは何物にも代え難い強烈な思い出として残っている。その関係は今日まで続く大切な俺だけの世界だ。
ところが真田攻略の糸口はまるで見つからなかった。他人に厳しく、自分にはもっと厳しい真田は幸村に抱く劣情さえ辛抱強く抑え込み、俺になど見向きもしなかった。いっそ俺は嫌われていた。俺は幸村を抱くことで、卑しくもささやかな優越感に浸り真田への執着をごまかし続けた。一度発散する機会があったのは、関東大会決勝で負けた真田に制裁を加えたときだろうか。あの瞬間、真田が俺の這いずり回る地べたに堕ちてきたような感覚が確かにあった。けれどそれもすぐに消えてしまう。全国大会決勝で真田は手塚国光に勝利し、俺は不二周助に負けた。あのとき受けた真田の拳は忘れない。俺を更なるどん底に突き落とし、振り返りもせず真田はまた雲の上へと飛び立って行った。
そしてそれと前後して、遂に幸村が全面的に真田を受け入れてしまう。幸村を抱いているという優越すら失われた俺は途方に暮れる。幸村は俺とのセックスを今でも好きだと言ってくれるが、真田とのそれとはまるで別物だという。ここで俺の疎外感は最高潮に達する。
この長きに渡る執着と疎外感の歴史に終止符を打てるのは今なのではないか。いくら老け顔でも真田だって十五歳、思春期の少年だ。一度知った性欲をいつまでも溜めたままにはしておけないだろう。付け入る隙はあるはずだ。
幸村にイリュージョンして、真田に抱かせる。弾き出した結論はこうだった。
そこまで思い至って、真田に抱かれ幸村を抱く、という構図に俺は生唾を飲んだ。それはまるで彼らの世界の中心ではないか。そこに俺の欲した全てがある。そう確信した。
俺は決行を決意した。そしてようやく話は核心へと迫る。
皆で寝泊まりしている洞窟から真田が出て行くタイミングを見計らい続けると、チャンスは意外と早く巡ってきた。参謀が青学の幼馴染に付きっきりだったことが幸いした。一人洞窟から離れていく真田の後を追う。
着いたのは小さいながらに勢いのある滝だった。昼間に通りかかったときは小さな虹のかかる癒しスポットにしか見えなかったが、明かり一つない暗闇の中では轟々と響く水の音がまるで俺の昏い心そのもののように聴こえた。それと同時に、ここで何が起こっても全ての音を掻き消してくれる非常に都合のいい場所にも思えた。下種と蔑まれても良い。俺はもう自分の甘美な計画を達成する条件の成立だけを追い求めていた。
真田はザブザブと滝に向かって進んでいく。まさかと思い目を凝らすと、真田は滝の真下に入り目を閉じ両手を合わせた。いやいや滝行て。嘘やん。四天宝寺に毒された自分に気付いて気合いを入れ直す。本当に期待を裏切らない男だと感心しつつ、意を決して近付いていく。付近には誰もいない。これ以上のチャンスなど巡っては来ないだろう。
俺は、イリュージョンを、発動した。
「真田」
その声に、奴はピクリと肩を震わせたかと思えばものすごい勢いで目を見開いた。効果音で言えば間違いなく”カッ!”だ。そりゃそうだろう、恋しくてたまらなかった声のはずだ。
「幸村!?何故ここに?」
「真田に会いたくて、こっそり来たんだよ」
「幸村……」
真田は目に見えて動揺していた。これはいける、と思った矢先、
「何をふざけているのだ、仁王」
バレた。こんなに完璧に寸分の狂いもなく幸村なのに。平時なら絶対にバレやしなかっただろう。事実真田は過去何度も俺の幸村イリュージョンに引っかかっている。俺の洗練されたイリュージョンは付き合いの長さも愛も世界の壁も凌駕する。だが今回は、幸村がいるはずない、という状況が敗因だった。とはいえ、幸村ならばあの崖だって指一本で登れたっておかしくないのに、来るはずがないと思えるほど真田は幸村に愛されていないのだろうか。そう思うと少し同情した。
「何を言ってるんだ、俺だよ、真田」
「ふざけるな」
それでも俺は演技をやめない。何故なら真田は今論理的思考能力だけで目の前の人物を仁王雅治だと決めつけているからだ。俺が持つ人間の性的行動における経験値をナメちゃあいけない。頭だけで信じていることは理性さえ飛ばしてやれば簡単に覆すことができる。理性が強ければ強いほど、それが消えたときの反動はものすごい。その上、今までそれとなく幸村から真田の情報を聞き出してきたから、まさに真田は理性を外すと簡単に堕ちるタイプであろうことは容易に推測できた。そのためには知覚情報として“実は仁王である”ことを漏らしてはならない。
「真田」
俺は一歩一歩、実に効果的に真田へと近付く。幸村の姿と声で。
「やめろ、仁王」
「真田」
「やめろ……」
その滝壺に足を踏み入れる。流れ落ちる滝に打たれる。全身濡れそぼる幸村精市フューチャリング俺。いや、俺フューチャリング幸村精市か?まあどっちでもいい、今俺の色気は最高潮に達しているはずだ。真田は俺から目を離せない。あと少し、あと少しだ。
「真田」
幸村の声でその名を呼びながら、そっと頬に掌を添える。十一月の滝はそれはもう指先の感覚が無くなるほど冷たい。けれど体温を操れない俺にとっては、幸村が嫌う俺の低体温を紛らわせることのできる有用な隠れ蓑だった。まったく、どれだけいい条件なのだろう。
「愛してるよ、真田」
硬直する真田に近付く。早く楽になってしまえ、目の前にはお前の最愛の男がいるんだぞ?
唇に触れる。軽く口付ける。真田は俺を振り払えない。勝った、と思った瞬間、滝の裏に引きずり込まれた。
そして真田は屈服した。俺の演技は完璧だった。伊達に二年近く幸村を抱き続けてきたわけではない。締まり具合も、どこを触ればどう反応するかも、しっかりとこの身に焼き付けてきた。開発したのもほとんど俺だから抜かりはなかったはずだ。
それはもう素晴らしい体験だった。いつだったか幸村が「風林火山で言えばずっと火」と言ったそのままだった。まさに火の如く侵掠された。それからこれも幸村が時折口にしていた「愛し殺される」の意味もわかった。これは死ぬ。マジで死ねる。たぶん身も心も幸村になっていなければ本当に腹上死してしまっていただろう。さすがにそれは嫌だ、末代までの恥だ。あ、幸村にならなければ真田はそんな抱き方をしないか。考えると少し哀しいからそれには目を瞑ろう。
とにかくそれは俺が今まで体験してきたどのセックスとも違っていた。セックスなんて呼吸みたいなものだと思ってきたけれど、本物のセックスを知らなかっただけだったのだと思い知った。
これがあの二人の世界だったのだ。俺はついに真田と幸村の世界に立ち入った。傍で立っているだけの参謀とはレベルが違う。真田に抱かれて幸村を抱いて、俺は二人の世界のど真ん中に存在していた。世界の中心で愛を叫び叫ばれていた。
全てが終わって我に返った真田はその場に崩れ落ちた。俺はイリュージョンを解いていた。真田は見ていて気の毒なほど茫然自失となってしまった。
「気を落としなさんな、お前さんが抱いたのは幸村じゃけえ」
「ふざけるな!たわけが!」
まあ飲もうや、みたいなノリで肩に置いた手はものすごい勢いで振り払われた。そりゃあ真田は俺のことが嫌いだから仕方がないけれど。
俺だってお前のことは嫌いだよ。でも知ってるか?好きと嫌いは表裏一体で、ほぼ同じようなものなんだ。好きの反対は無関心、なんてうまく言ったものさ。愛と憎しみだって似たようなものだろう?その証拠にお前は全身全霊をかけて幸村を愛し憎んでいるじゃないか。嫌い合っている俺達は愛し合ってるのと同じなんだよ。あれ、そうなのか、俺ってお前のこと愛してるのか。
というような内容を切々と語りかけると、最後には殴られた。あんなセックスの後だからそれすら愛情表現に思えて、もう俺は泣きたいくらいに幸せだった。もしも不二周助に負けたのが今この瞬間だったならば絶対に逃げたりしない。右の頬を殴られたら左の頬も差し出せる。まったくもって人生がバラ色だった。
ここまでが冒頭の件である。まさに人生の絶頂。エクスタシー。ところが、話はもう少しだけ続くことになってしまった。時は少し流れ、特訓を終えて勝ち組と合流したその日、事件は起きた。
「仁王、ちょっと」
勝ち組と負け組が再会を喜ぶロビーの喧噪の中、俺を呼ぶ変声期を経たはずなのにやたらと高い声の持ち主は振り返らずともわかった。難病から不死鳥の如く蘇った中学テニス界の寵児、神の子幸村精市様だ。得意技は人の五感を奪うこと。俺の尊敬するテニスプレイヤー、かつ、愛すべきセックスフレンド。標準装備である絶対零度の微笑みも久々で眩しく光って見える。
「おう、久しぶりじゃのう、幸村」
「話があるんだ、付いてきて」
今ならばわかる。普段ならその笑顔に戦々恐々とするはずが、俺は浮かれ過ぎていた。というより真田に抱かれた身体で早く幸村を抱きたかったものだから、何の疑問も持たずにホイホイ付いて行った。本当に俺はどうかしていた。
幸村が向かったのは俺と樺地が築き上げた仁王王国だった。まあつまるところただの二一四号室である。樺地は本来の主人である跡部様の元へ里帰りしていたから、つまり二人きりだ。願ってもないシチュエーションだった。
そうかお前も溜まっていたのかと一人納得し、扉が閉まるなり後ろから幸村を抱き締めた。鍵をかけることだけはしっかりちゃっかり忘れない。少し苦手な、いつも漂うフローラルな香りも今はとても愛おしい。俺の腕の中でゆっくりと幸村が振り向く。それはもう美しい微笑みを浮かべて。さあいざ甘い口付けを、と思った瞬間だった。
「痛っ!」
腕を掴まれ思い切り背中の後ろで捻り上げられた。この時点で俺が考えたのは、何これ新しいプレイ?だったのだから本当に救い様がない。幸村は痛い痛いと叫ぶ俺を綺麗にメイキングされたベッドに押し付ける。その時点でも俺が考えたのは、久々のふかふか布団ぜよ!だった。めでたすぎる。幸村はそのままのし掛かって俺の耳元に口を近付け、
「お前、真田に、何をした?」
声変わりおめでとうと言いたいくらい低い声で囁いた。
浮かれ続けていた頭が急速に冷えていくのを感じた。血の気が引くっていうのはこういうことなのか、と感心してしまうほど冷静に、客観的になった。
いつもの高速回転を取り戻した俺の頼れる理系頭脳は瞬時にこの状況を分析した。分析するまでもなかった。幸村様は、まず崖の上で俺と真田に起こった素晴らしいイベントを知っておられる。そしてどうやらそのことに非常に腹を立てていらっしゃる。
「何のことだか」
「わからないわけ、ないよな?」
分析が終わったらデバッグだ。誤算を挙げよう。まず真田が幸村に、幸村に化けた俺を抱いたと報告したらしいこと。そして、幸村がそれについて俺に対し怒っていること。
前者は少ないながらも可能性はあると考えていた。真田は馬鹿がつくほど正直で、恐らく心底心酔している幸村に隠し事なんてしたことはなかっただろうから、あり得ることだと事前に想定していた。
問題は後者だ。真田は確かに幸村の恋人かもしれないが、その内容たるやほぼ真田の片想いに近く、幸村に執着心などないと俺は考えていた。真田に対して常に我儘放題、俺との関係も切らない、ペアマッチでも五感を奪ってフルボッコ。たとえ真田が話しても制裁を加えられるのは誘惑に負けた真田であり、求められれば真田にイリュージョンして抱いてやろうと殊勝なことを考えていた俺ではないと思っていた。俺は幸村が真田にかける想いを読み切れなかった、そういうことですか、跡部様?
「俺どうなるん」
「まず言うことは?」
「……ごめんなさい」
「よし、じゃあ真田のことは忘れてもらおうか」
「え?」
そう言うや否や俺のジャージを下着ごと脱がしにかかる。腕は変わらずものすごい力で捻り上げられたままだ。頭上から普段より三割低い幸村の声が降り掛かる。
「俺が何も知らないとでも思ってたの?お前が真田に執着してることくらいとっくに気付いてたよ。だから俺で満足させてやってたのに、何で俺で我慢できなかった?お前が俺を憑依させて真田に抱かれたっていうのならまだ許してやらないこともないけど、イリュージョンなんて所詮意識はお前のままじゃないか。あの真田のセックスは俺だけのものだ。お前なんかに教えてたまるか。真田を愛してるお前なんかに」
幸村が自分のジャージを脱ぐ気配がした。そしてそのまま覆いかぶさってくる。俺は上半身を俯せに押し付けられている。これはまさか。
「本当は去勢してやりたいけど、さすがに傷害罪はまずいから真田の感覚を掻き出させてもらうよ」
言うや否や尻に激痛が走る。間違いない、幸村が入ろうとしている。一つ言っておくが、この二年近く俺は幸村を数え切れないほど抱いてきたが抱かれたことは一度もない。言われたら抱かせてもいいと思っていたけれど、そんな機会は終ぞなかった。
「ちょ、幸村、せめて慣らして」
「嫌だね。気持ち良くなんか、絶対させないから」
「肛門裂傷でも傷害罪ぜよ」
「うるさい黙れ。こっちなら二度と真田がお前を抱けなくなるんだから罪になっても構わない」
もう駄目だ。何を言っても駄目だ。口答えしたって聴覚が奪われるだけだ。ところで何で勃ってんの?って聞いたら答えてくれるだろうか。せめて俺に欲情してたらいいのにな。俺が真田を愛してるだって?大正解だよさすが神の子、完敗だよ。俺自身明確には気付いてなかったのにな。
でも幸村、お前は一つだけ間違ってる。俺が愛してるのは幸村と真田、両方なんだよ。お前らマジ最高。二人と出会って俺の人生変わったよ。俺は参謀みたいに見てるだけじゃあ足りなかったんだ。真田に抱かれて幸村を抱くことが幸せだったんだ。わかるかなあ。わっかんないだろうなあ。
俺は泣いた。痛みにはもちろんだけれど、あまりに愛されていなさすぎて泣いた。真田に愛されないのは仕方がない。あいつの頭の中はほぼ幸村で埋まってる。嫌われることだけで満足できる。でも幸村の方は、少しくらい俺を愛してくれていると思っていたのにな。満足させてやってたとまで言われてしまった。俺達の二年間って何だったんだ?土曜日の夜、お前は何を考えながら俺と寝ていた?幸村はもう二度と抱かせてくれないだろう。なあ幸村、なあ真田、俺は少しでも二人の世界に入りたかっただけなんだ。昔から俺は遊びに混ぜてって素直に言えないシャイな子供だったんだ。こんな方法しか思いつかなかったんだよ。畜生涙が止まらない。
前言撤回、人生がこんなに惨めで辛いものだとは思わなかった。こんな世界に堕としやがって、神様仏様閻魔様、お前らみんなまとめて消えちまえ馬鹿野郎。ああでもこの痛みが少しだけ気持ち良くなってきた。ド変態の馬鹿野郎は俺の方か。嗤うなら嗤えばいいさ、好きにしてくれ俺は泣く。幸村、真田、愛してるぜよ二人とも。