赤、橙、黄、緑、青、紫。半分だけ起こした電動ベッドに身を凭せかける幸村の前、簡易テーブルの上に、小さな鶴がひっきりなしに増えていく。茜、山吹、鬱金、常盤、青磁、藤納戸。几帳面に、スペクトルに従って配置される鶴を追っていけば、百色百枚入り、と書かれた小さな色紙セットがある。さらにその先では、今のところどの鶴とも一致しない白鼠色の髪が揺れていた。
 「……何してんの?」
 「何って、折り紙」
 仁王は目線ひとつ上げないで答えた。一心不乱に鶴を折っている。せいぜい五センチ角ほどしかない正方形の紙を細長い指でつつき回す様は、彼らしく器用だった。
 「っていうか、なんでいるの?」
 「……見舞い?」
 「扉の貼り紙見えなかった?」
 「扉使っとらんけん、知らん」
 それもそうか、と幸村は思った。今日は朝から貼り紙をして、携帯の電源を落とし、看護師に言付けを頼み、部屋の鍵も掛けて、籠城よろしく外部との接触を断ち切っていた。友人も家族も誰もかも。それなのにこの男は窓から飄々と乗り込んできたのだ。「おう幸村、元気しとるか?」と片手を挙げて。それからずっと、小さな色紙を器用に折り畳んで鶴の量産を続けている。幸村に落ち度があったとすれば、その旨を看護師以外に伝えなかったことと、窓の鍵を掛け忘れていたことだった。
 「そうか、ならお前に直接伝えなかった俺が悪かったよ。今日は誰とも会いたくないから、面会謝絶にしているんだ。折角来てくれたところ悪いんだけど帰ってくれないかい?」
 わざとらしく丁寧に伝えた。知っていた癖にとか、七階の窓から入ってくる馬鹿がどこにいるとか、そういう苦言は仁王を喜ばせるだけだと重々承知しているつもりだった。
 「それはお前さんが勝手に決めたことじゃろう」
 出来上がった鶴に嘴を作り、黄色の列に並べた仁王はまた新たに薄萌黄の紙を引っ張り出す。
 「……そうだけど」
 「俺は今日ここにいるって決めたきに」
 「だから?」
 「帰らん」
 幸村はひとつ溜息を零す。基本的に仁王には、言葉も常識も通じない。空気が読めないわけではなく、十分に読んだ上でそれを壊す人間だ。
 「……好きにしろ」
 嫌がれば嫌がるほど仁王が喜ぶことはわかっているので、ゆっくりと電動ベッドを元に戻した。感覚のない指先の代わりにボタンの位置は目で確認する。仁王はここへきてから鶴を折っているだけで、話し掛けて来るわけでもない。ならば、居ないものとして扱えばいい。

 水平になった体の首だけを動かし、サイドテーブルに置いたカレンダーを見遣った。何の味もついていない水飴みたいな日常はすぐに曜日も季節も忘れさせてしまうので、幸村は朝起きる度に昨日の日付を消す。最後のバツの隣、既に確認していた今日の日付を見遣り、目を閉じた。

ラフ・メイカー

 一年前の同じ日は沢山の人に祝われる、幸福で平和な一日だった。その前の年もだ。またその前も、この世に生を受けてから、ずっとそうだった。

 三月五日。少し、人より遅く生まれた。

 ほとんど記憶にも残らないほど幼い頃には、そのことが一定のハンデだったような気もする。同学年の子供たちより一回り小さな体はかけっこひとつ取ってあまりに不利だったし、中性的な風貌も手伝って揶揄されたこともあったかもしれない。
 幸いなことに、両親は他人との比較に無頓着な人たちだった。相対値ではなく絶対値としての幸村精市を深く愛してくれて、男らしさといったステレオタイプな概念の一切を押し付けることもしなかった。

 「精市自身が速く走りたいと思うのならもちろん応援するわ。でもそうじゃないのなら、私はあなたが愛するものを、一緒に見てみたいな」
 いつまでも少女の雰囲気を失わない母はいつかそう言っていた。

 彼らは自らの息子へ、周囲の人間如何よりももっと大きく広がる世界を熱心に与えようとした。自宅の広大な庭には四季折々の花が一定の美的感覚に基づいて散りばめられていたし、サファリパークや植物園にもよく連れて行ってくれたし、アフリカのサバンナやオーストラリアの平原を映し出すビデオテープは擦り切れるほど流された。部屋には様々な絵が飾られ、出入り自由だった父の書斎へ行けば、幸村自身よりも大きいのではないかと思われるほど巨大な画集もあった。幸村はそれらに触れ、自らを取り囲む世界の偉大さ、美しさ、明瞭さを、小さな体で目一杯愛した。
 そして両親は、息子が綺麗な花に心惹かれてはお花屋さんになりたがっても、カーマインやサーモンピンクで何かよくわからない絵を描こうとも、決して彼の持つ感性を否定するようなことはしなかった。そのような教育方針は幸村の人生から劣等感というものをすっかりと排除し、ただ美しいものを数える日々を、穏やかに享受させてくれた。

 父はとても忙しい人で、共に過ごす時間はあまり多くなかった。けれど数少ないそういった機会には、ふわふわと波打つ幸村の髪を、壊れ物を扱う手付きで優しく撫でてくれたものだった。時折見かけた、電話口に向かって何やら捲し立てる険しい表情とはまるで別人のようで、そんなとき幸村は少しだけ自分が特別になったような気がして嬉しかった。

 あれはいつの夏だったか、父が珍しく家にいたから休日ではあったのだろう、とにかく酷く暑い日だった。家庭でアイスクリームを製造できるという簡易な機械のテレビコマーシャルにいたく惹かれて、どうしてもそれが欲しくなったことがあった。機械の中で練り上げられる薄い卵色をしたクリームがあまりにも魅力的で、そうして出来上がったアイスクリームを口にする子供の表情がとても幸福そうで、新聞を読んでいた父に、あれが欲しいとねだった。
 父は一瞬テレビに目を走らせ、暫し考えるような素振りを見せた。それから、精市、と優しい声で彼の名を呼んだ。少し困惑気味な表情だったように思う。
 「人の心というのはね、簡単に動かせるものなんだよ」
 父は、やはり優しく柔らかい手付きでふわふわと幸村の髪に触れた。
 「父さんは、精市が自ら世界に触れて、美しいと感じたものは何でも与えてやりたいと思う。けれど、仕組みのあるものに騙されて欲しくはないんだ」
 父の言葉は難しく、ただ一点、どうやらあの機械は買ってもらえないらしいということだけはなんとなくわかって、とても悲しい気分になった。そんな彼の様子を察してか父は殊更優しく彼に触れ、しかし毅然とした声で先を続けた。
 「精市、操られる側の人間になってはいけないよ。お前は賢い。美しいもの、正しいものをたくさん知っている。人を、世界を動かす側の人間になりなさい。いつでも、自分の中に基準を作っておきなさい」
 常に優しい父の、真剣な視線に背筋が伸びるようだった。あまり要領を得ないままだったけれど、父の言葉は何かとても重要なことであるように響いた。はい、お父さん。不思議と機械への執着は消えていた。厳粛に首肯した幸村の髪を梳く父の手付きは、どこまでも優しかった。
 そのCMの作製に父が関わっていたのだと知ったのは、随分と後になってからのことだった。

 それから暫くして、テニスと出会った。相手のコートにボールを落とすという目的は自然界のルールのようにわかりやすかったし、ボールの描くいくつもの軌跡はどれも美しかった。すぐに夢中となった。体格はまだ華奢と呼ばれる分類だったけれど、ネットを挟むことで直接の押し合いやへし合いなんかはなかったから、戦い方ならいくらでも見つけられた。
 「あなた絵を描いているときと同じ表情だったわ。よっぽど楽しいのね」
 初めて試合を見にきた母は嬉しそうに笑っていた。
 「それにしても精市のボールはあんなに力強いのね。お母さんびっくりしちゃった。いつの間にそんなに大きくなっていたのかしらね…優勝おめでとう」
 およそ勝敗というものについて初めて言及された瞬間だったかもしれない。そう言った母が心底優しい目をしていたので、幸村も素直に嬉しくなった。

 けれど初めてまともに勝利と敗北という概念に向き合う中で、幸村は次第に強い違和感を覚えるようになっていった。幸村は自然の摂理をいくつも知っていた。いつか自宅の庭先で見た蜘蛛の巣に絡めとられた蝶、群れの長を決める争いに敗れたブラウン管の中の雄ライオン、そういう者達は皆すべからく死んでいったものだ。それなのに、コートにひれ伏す対戦相手は能天気に「次がある」などと笑う。
 ——負けても生き存える人間というものは、なんと醜い種族なのだろう。
 酷く失望した。

 父は自分の基準を見つけなさいと言った。ならば自分は、せめて自分だけは美しくありたいと願った。負けても死ねないのなら、せめて勝ち続けながら生きよう、と決めた。

 勝利と生きることが同義となった幸村に敵はいなかった。それどころか、揺るぎない基準をラケットから放つ幸村を前にして、戦意喪失してしまう者が続出した。彼らは皆ボールを打つことをやめ、勝負そのものから目を逸らしてしまうのだ。どうやらイップスと呼ばれる状態らしいとコーチに聞いた。中には永遠にテニスから離れてしまう者もいた。
 _人の心というのはね、簡単に動かせるものなんだよ_
 父の言葉が脳裏を掠めた。
 _人を、世界を動かす側の人間になりなさい_
 きっとこれでいいのだ、と思った。父が何を想定していたのかは知らないけれど、自然界のルールのように、これはなるべくしてなったことなのだと、そう思った。
 やがて周囲の大人達は彼を鬼才だ、神の子だと囃し立てるようになったけれど、そのような称号には何の興味も惹かれなかった。ただ美しくありたかった。

 幸村の幸運は、両親の愛だけではなかった。他人に絶望を与えてしまう突出した才能や精神性は多くの人を遠ざけてしまったけれど、それでも彼を慕い、共に歩もうとする者達に出会えたことがそのひとつだ。彼らは幸村の美学を理解し、同調し、幸村のテニスの前に絶望を知ろうとも、決して折れることはなかった。幸村はそんな彼らを、美しいと思った。

 そうやって十四年、幸福に生きてきた。絶対的な美を基準に、いつだって前を向いていた。誕生日の度に周囲から贈られる「生まれてきてくれてありがとう」という言葉はどんな福音よりも心に響き、より一層美しい自己への追究を奮い立たせてくれたものだ。

 それなのに、まるで天罰のような病に襲われたのだ。

 ゆっくりと開く目に、カレンダーが飛び込んでくる。最後に見たとき嫌味なほどの小春日和だった窓の外は少しだけ温度を変え、薄暮の色が混じっていた。まだ今日は終わっていない。バツはつけられない。起き抜けの脳裏に苛立ちが込み上げた。
 白い天井、白い壁、白いシーツ。この何の色気もない部屋に押し込まれてからもう四ヶ月が経つ。ただ呼吸を繰り返し、その呼吸さえいつ止まるとも知れない、生と死の狭間で四ヶ月だ。こんな場所で生を祝う日を迎えるだなんて、一年前には誰が想像しただろう?
 動かない体。ベッドの上から眺めるだけの切り取られた風景。ちっとも美しくない。そんな醜いものが祝福を受けるだなんて、幸村にとってあってはならないことだ。だから誰にも会いたくなかった。365日のうち、何の変哲もない一日として世界から流れ去ってくれればいいと、そう思っていた。

 視界にちらりと白鼠色が揺れた。そういえば、決意を台無しにしてくれた奴がいたのだったなと思い出す。
 「……まだいたの」
 「おはようさん」
 眠る前と違わずベッドサイドに陣取っていた仁王が飄々と言ってのける。一体どれほど眠っていたのかはわからないが、そう短い時間というわけでもないだろう。微睡から一度覚めてしまえば眠ることは難しい。ゆっくりとベッドを起こす。自然と視界に入ってきた簡易テーブルの上は、数え切れないほどの鶴で埋め尽くされていた。
 「ずっと折ってたの?」
 「おう」
 仁王はといえばもう折り紙を辞めていて、代わりに凧糸を垂らした針で出来上がった鶴を突き刺している。次々と、スペクトルの順番で。その工程には、見覚えがあった。倒れて一ヶ月もしない頃、クラスメイトから似たようなものを届けられたことがある。ありがとうと受け取って暫くは飾っていたけれど、どこか形骸的な余所余所しさと、回復しない己に苛立って捨ててしまっていた。見舞いに来るテニス部のメンバーなら誰でも知っていることだ。
 「なんのつもりだよ」
 「別にお前さん宛とは言うとらんぜよ」
 どうしてこいつはこうなんだ、と溜息が出る。ともすればテニスを辞めさせてしまう幸村の周りに残っている人間は当然一癖も二癖もある者ばかりで、幸村自身も彼らに一定の美を認めているから共にあるわけだが、それにしたって仁王は異質だ。偽りや曖昧さは幸村の最も嫌うものなのに、仁王は我を隠すことにこそ強い我を通すものだから性質が悪い。
 無視していたい気持ちと、他に見るものもない事実との合間で、するすると鶴を重ねて行く仁王を黙って見ていた。そのうち、明らかに取り残されている存在があることに気付く。机の端に二羽、忘れられたように身を寄せ合う金と銀の鶴がいる。
 「それは?」
 「浮くけぇ、仲間外れ」
 ふーん。本格的に差し込み始めた夕陽を反射する、二羽の鶴をぼんやりと眺める。
 「なら折らなくてもいいのに。それって、折りにくいだろ」
 金と銀の色紙は、いつだって特別だ。どんなセットにも一枚ずつしか入っていないキラキラと光る紙を殊更大切にしていたのは何も幸村だけではないだろう。幸村にとって特殊であるが故に加工に向かないそれらの紙は、どちらかといえばそのままの形で愛でる方が好きだった。
 「折りにくいもんやから折るんじゃろ。昔練習したきに、綺麗にできとるぜよ」
 見るか?と言って仁王は作業を中断し、二羽のうち銀の鶴を手に取る。なんとなく懐かしいような気分で幸村は右手を差し出した。それを確認し、仁王が手を離す。彼の指先から離れた小さな銀色の鶴は、蛍光灯の光をちらちらと反射させながら自由落下を始める。
 けれど、銀の鶴は、幸村の手に何の感触も与えないで滑り落ちた。反射に必要なのは、何も視覚だけではない。
 ぽとりと真っ白なシーツに横たわる鶴があまりにも惨めに見えた。いや惨めなのは紙細工ひとつ掴めない俺だろうと幸村は思い直す。水を打ったような沈黙が仁王との間に流れる。

 これだから嫌だったんだ、とうんざりした気分でひとつ深呼吸をした。可哀想だから仁王は見ないでおいた。
 「……これは、罰なのかな」
 右手で、左手の甲を抓った。感覚はない。どちらの手にもだ。
 「……何が?」
 息の仕方も忘れたように一瞬気配の消えていた仁王が、少なくとも表面的には平静な声で返事をした。
 「俺は今まで多くを奪ってきた。感覚とか、希望とか、楽しみとか」
 一羽だけになった金の鶴が所在無さげに佇んでいる。感触がなくたって銀の鶴を傍に戻してやることは容易かったけれど、そんなことをしてやる義理もないだろうと思った。チームと切り離され、ほとんど色のない部屋に押し込まれる自己を、寂しげな金の鶴に重ねた。
 「後悔しとるん?」
 「そうじゃないよ。俺はいつでも俺の中の正しさに絶対の自信があったし、そうやって俺が突きつける現実に他人が勝手に心折られていっただけだったから」
 後悔だなんて美しくないものをするくらいなら死んだ方がマシだった。常に自分の基準に従って生きてきた、そのことには今でも誇りを持っている。
 「でも、奪われるということには無縁だったから。知らない痛みを他人に与えていたということが罪だと言われるなら、これは然るべき罰なのかもしれないと、今は思う」
 勝負を放棄した者、二度とコートに戻ってこなかった者。様々な人間を見てきたけれど、ラケットを奪い取られる気持ちにまで思いを走らせたことはなかった。なぜなら幸村にとって、敗北は死に等しいからだ。負けた後のことなんて考えても仕方がなかった。
 それでも人間は負けても死なない生き物だ。誰にも負けていない自分が死の淵に立たされている理不尽と同じように。そうしてラケットを握れなくなって初めて、実感としての絶望を知った。それはあまりにも辛辣な皮肉だった。

 「……こないだ何日か幸村にイリュージョンしとってわかったんじゃけど」
 いくらかの沈黙のあと、仁王がぼそりと言った。ぎこちない手付きでゆっくりと鶴を繋ぎ合わせる作業を再開する。
 「そんなことしてたんだ」
 「まあ聞きんしゃい」
 多少咎める色を含んだ幸村の言葉を遮って、仁王が続ける。
 「いくらお前さんのプレイスタイルを真似よっても、イップスって起こらんもんなんじゃな。参謀が言うには、真似るとかそげな次元の問題やないらしい」
 蓮二か、と常に浮かべられている涼しげな顔をぼんやり思い浮かべる。彼も彼で、何か強い美学を持った人間だ。彼は彼だけの基準で行動し、いつでも満足気に笑っている。そういうところが気に入ってよく行動を共にしていた。
 「あいつなりの仮説は教えてもろうたけど、俺にはできんぜよ」
 「……降参宣言?らしくないな」
 「合わんのよ。俺は現実と非現実の区別とかには、興味ないけぇ。突きつけるような現実がなか。んなもん持ちたくもないきに」
 面白くなさそうに口を尖らせる横顔に、仁王らしい理由だなと思った。仁王が好むものと幸村が好むものの間には決定的な断絶があって、元々相容れない存在なのだと幸村は半ば確信していた。それでも仁王を傍に置いているのは偏にそこに美学があるのだと信じているからだ。それが無いのなら、幸村を前にして大抵の人間は逃げ出していくものだから。
 「誰にもできんことができるんじゃき、使えばよかろって、俺は思うぜよ。痛いっちゅーことがわかったんなら余計お前さんが許せんと思う相手にぶつけてやりゃあええと思うがの」
 「許せない相手?」
 「弱いと思う奴。何もわかっとらん奴。片っ端から黙らしてやりゃあええ。そういうんがお前さんのやり方じゃろ」
 仁王の言うことをゆっくりと咀嚼する。ネットの向こう側には色んな人間がいた。大した実力もないのに、テニスが楽しいだとか、自分に実力があるだとか半ば思い込むように言い聞かせている者達。全く以て美しくない在り方。
 「それは、俺が罰になるってこと?」
 「まあそうなるかのう」
 「……それもいいかもね」
 それもいいかもしれない。幸村は思った。醜く生き延びて、返り咲いた暁には、痛みを含んだ現実ごと勝利する。己も自然の摂理も知らない人間に断罪を与える。まさに神の子じゃないか、と皮肉めいた名に苦笑いしそうになる。
 けれどそのような在り方はとても美しい。その美しさを思えば生にしがみつくことも許される気がした。だって、幸村はまだ負けていないのだ。
 傍に落ちたままだった銀の鶴を拾って、ぽつんと佇む金の鶴に並べた。寂しさは消え失せ、強くなった西日を反射してキラキラと輝く二羽の鶴に目を細めた。

 「できたぜよ」
 金と銀を除く最後の一羽、菖蒲色の鶴を通した仁王が声を上げる。百色の鶴が正しくグラデーションを演出し、その極彩色を幸村は眩しく思う。もう随分の間、無機的で変化の無い色しか目に入れていなかった。
 「少ないんじゃない?百羽じゃ」
 「ちゃんと千羽あるぜよ」
 そう言って、仁王が鞄を探る。取り出した手には、折り重なる無数の鶴が吊るされていた。
 「……何それ」
 「いやあ、皆真面目でのう。俺だけ間に合わんで、此処で折っとったっちゅうわけじゃ」
 からからと笑って、仁王が自ら作り上げた一束の鶴を合流させる。見事に出来上がった千羽鶴を、手渡すのでなく、幸村の胸元へと凭せかける。
 「誕生日おめでとさん、幸村」
 「……俺宛じゃないって言ったくせに」
 「お前さん宛とは言うとらん、て言っただけじゃろ」
 お前さん宛やないとも言っとらんよ、と笑う仁王に半ば呆れながら、渡された千羽鶴を感触のない手で撫で付ける。
 スペクトルの順番に繋ぎ合わせられた色とりどりの鶴たちは、よく見れば酷く個性的だった。几帳面すぎるほどに尖った尾をもつもの、辛うじて形を保っている不格好なもの。誰が折ったか透けて見えるようで、自然と頬が緩んだ。
 『ピロリ〜ン』
 そのとき、何やら間抜けな電子音が響いた。つられるように振り向けば、携帯電話を構えた仁王がその向こうで悪戯気な笑みを浮かべている。
 「やっと笑いよったのう」
 「……何?」
 「ゲームしとった。お前さんが笑えば、俺の勝ち」
 人が悪いとしか言いようの無いニヤニヤとした表情で仁王がこちらを見ている。鬱陶しいなあと思いながらも不機嫌な表情は作れない。
 「……なんだよ勝手に。笑えば負けって知ってたら笑わなかったよ」
 「負けたんじゃき、罰ゲームはしてもらうぜよ」
 「罰ゲームって?」
 「鍵、開けてええか?」
 そういうことだったのか、と幸村は思う。よりにもよって仁王が無遠慮に入ってきたのは、仁王本人の発案なのか、他の誰かの教唆なのか。
 「……いいよ。どうせみんな、扉の外にいるんだろう?」
 希望が見えたわけではない。病気が治る保証もない。状況は何も変わっていない。
 笑って身を翻し、扉に向かう仁王の後ろ姿を見ていた。醜い自分はやっぱり愛せないけれど、美しく返り咲く自分を想った。彼らが同じように美しい自分を信じ祝ってくれるのなら、それも悪くないかもしれない。十四回目の誕生日、無機質な部屋の中で、それでも飛び込んでくるだろう極彩色の笑顔を想像する。たぶん、そういう光景は美しい。扉に手を掛ける仁王を見て、幸村はもう一度密やかに笑った。

2013.3.8