GAME

 「なあ、マジでヤんの?」
 「興奮するじゃろ」
 バスケットボールの授業中、体育倉庫の扉に凭れ掛かっていたら突然背の支えがなくなった。後ろ向きに転がって、あれ? と思ったときには目の前の光景は固く閉め切られた後だった。それなりに重い扉の、けれど開く音も閉じる音も耳に届くことなく、引きずり込まれて見上げれば仁王がいた。聞けば授業の最初から倉庫に隠れていたらしい。どうりで見当たらないと思った。
 「さすがにやばいって」
 「授業終わるまで誰も来んよ」
 「お前の言うことは信憑性に欠けるんだよ」
 「来たら跳び箱にでも隠れりゃあなんとかなる」
 積み上げられたマットの上に押し倒されて、見下ろしてくる仁王の表情は暗がりでほとんど見えなかった。体育シューズがワックスの効いた床を鳴らしているのがやけに遠くの方から聞こえる。地を響かせる音は聞き慣れたテニスボールが奏でるものと違って重い。建てつけの悪い鉄製の扉からは人工のライトが漏れていて、それでもこの空間は十分に暗くて陰気だった。
 俺の制止なんてはなから聞く耳を持たない仁王は少しの躊躇いもなくキスで始めた。手順を踏むつもりが少しも無いのか、初めから深い。角度が変わるたびに無造作に伸ばされた仁王の髪が頬を撫でて、それをくすぐったいなと思う。
 ——パス、パス!
 ——今だ行け!
 ——入らんかー!
 「……なあ、今なんか混じった」
 「気にしたら負けぜよ」
 届く雑音を塞ぐように仁王が耳を包み込んだから俺も同じように抱き返す。舌が絡み合う音だけが脳内に反響してあっという間に健全な授業の喧噪は遠退いた。間髪入れずに体操服の裾から滑り込んだ仁王の掌が脇腹を撫で始める。温度の低い指先はその分だけ俺自身の体温を際立たせて駄目だ。まだ決定的な場所にはひとつも触れられちゃいないのに、正確に身体の中心へと熱の集まる気配がする。
 「やっ、」
 目敏い仁王はすぐに気付いて服の上から股間を撫で上げた。漏れた声が黴臭い空間に籠っていつも以上に恥ずかしい。
 「ノってきた?」
 「……はっ、ガッついてんじゃねぇよ」
 悔し紛れにそう吐き捨てて、お返しとばかりに膝で探れば仁王もしっかりと反応していた。
 「っ、ブンちゃんのエッチ」
 「ヤるならとことん、だろぃ?」
 ニヤリと笑い合った後は、競うように互いの性器へ手を伸ばす。遠慮なくパンツの中へ手を突っ込めば仁王は既にガチガチだった。ウエストがゴムだとやりやすい。制服の、ベルトを外すあのもどかしさも嫌いではないけれど、今はとにかく即物的な手っ取り早さが有り難かった。
 「溜まってた?」
 「ブンちゃんこそ」
 「仁王ほどじゃねえよ」
 どっちも主導権を握りたがるのはいつものことで、煽られれば乗ることしか知らない動物のように行為は簡単にエスカレートしていく。キスはどこまでも深くなるし、擦る手だって強さも速さも増していく。よがらせたいというより負かしたい。きっとそんな気持ちがいつでも強い。
 「ふっ……ん、……ぷはっ!」
 肺が二酸化炭素で満たされちまうんじゃないかってほど長く深く絡ませ合っていたら突然仁王が唇を離した。流れ込んできた空気はどうしてかチョークの匂いに近くて、思わず噎せそうになりながら俺の勝ちかなってほくそ笑んだ。
 「えっ? う、わっ……!」
 でももちろん簡単に負けるような仁王じゃあない。いつの間にか捲り上げられた体操服の下、乳首をは虫類めいた仁王の舌が撫で上げた。
 「ひっ、や……あっ」
 「感じんって言っとらんかった?」
 「うるっ、せっ!」
 それはお前、狡いだろ。仁王が胸元に口を寄せれば俺はもう仁王を追えない。気持ちよさは別として、少し興ざめした気分でまっすぐ天井を見上げた。わかっちゃいたけど暗くて陰気くさくて埃っぽい。何もこんなとこじゃなくてもいいだろって、そう意識を逸らした隙を仁王は逃さなかった。
 「え、何」
 伸ばしていた手を掴まれて、ただでさえ近かった距離がゼロになる。視線を下半身へ戻せばかあっと顔に血が集まったのを感じた。
 「おまっ、それ、エロっ……」
 「興奮、するじゃろ?」
 仁王は俺の右手ごと二本の性器を握り込んで、ほとんど力任せと言っていい速度で追い詰めてきた。物理的にも視覚的にも凶悪と言っていい快感が身体中に駆け巡ってもうわけがわからない。
 「ひ……あっ、やば……い、まじっ」
 「よ、そみ、せんでっ……」
 そのまま最後までいくのかな。馬鹿になっていく頭の隅でそう思ったけれど、仁王はあっさりと手を離した。割といい感じに波に乗れていた俺は不満に思って睨み上げる。仁王は俺の視線にほとんど気付かない素振りで、半分ずり落ちたハーフパンツからローションを取り出した。
 「後ろ向いて」
 お前、体操服になんてもん仕込んでんだよ。そう思っても冷静に吐き出す余裕なんてない。従順に身体を反転させて、ほとんどケツを突き出すような格好になってももう恥ずかしいとか思っていられなかった。
 「ひぁっ」
 馴染み始めた体温とは異質の、冷ややかな液体に鳥肌が立った。
 「きつい?」
 無言で小さく頭を振った。肯定か否定か決めかねるように。回数こなしてもやっぱり最初の異物感にはどうしても慣れることができない。それでも、その先にある快感をもう知ってしまっているから歯を食いしばって耐える。
 「はっ……や、あ……」
 仁王の指は細くて長くて、そして器用だ。俺自身生まれて十五年間知らなかったいい場所を簡単に探り出して、でも巧妙に一番だけ避けていく。もどかしい。
 「おまえっ、ほんとそういうの、いいっ、から、」
 「良い?」
 「ちが……ああっ!」
 そうかと思えばピンポイントでやばいところを擦り上げるものだから本当に質が悪い。翻弄される悔しさと純粋な快感が互いに煽り合って、どっちがどっちか判別がつかなくなっていく。
 「も、い……から、早くっ……!」
 ほとんど叫ぶように言えばずるりと指が引き抜かれた。ささやかな空気がローションに濡れた場所を冷やして微かな喪失感をもたらす。その隙間を埋めるように今度は質量の違う物体が押しつけられる。ちゃんとそこは温度があるんだなって、興奮してんだなって、勃ったものにそう思うのもなんだけど少し嬉しい。
 「いくぜよ」
 俺はもう何も言えないでただ首を縦に振った。
 そのとき、誰かがロングシュートでも決めたのか、扉の向こうで盛大な歓声が上がった。俺の悲鳴に近い声はうまいこと隠された。
 
 ——正気じゃない。かったるい三時間目の体育をサボってシケ込んで、扉一枚隔てた向こう側ではクラスメイト達がバスケットボールに勤しんでいる。いつ誰が入ってきたっておかしくなくて、そのスリルがたまらんぜよ、なんて言う仁王はやっぱりどこか頭のネジがブッ飛んでるんだと思う。なんだかんだで感じてる俺も同類か。
 「はっ、や、やめっ、」
 「やめる? ……っ、」
 「やっ……! 抜くん、っじゃ、ねっ」
 「……はぁっ……わがまま……」
 頭に響くリズムが仁王の律動なのかバスケットボールの弾む音なのか判別がつかない。それだけでも十分にヤバいのに、空いた仁王の左手が前へ回ってしごきにかかるからもうだめだ。
 「あっ……あっ、やっ、におっ……!」
 「ブンちゃん、声でかい」
 見つかる、と言って腕を引かれ、振り向き様に口封じ代わりのキスが降る。その間も仁王の腰も手も止まっちゃくれなくて、窮屈な体勢が余計に興奮を煽って追いつめてくる。男とセックスした経験なんて他にないからわからないけれど、仁王は巧いと思う。認めるのは癪だけど。
 「にお、俺、も……無理っ、」
 「っは、やば……」
 「あっ、ああっ……!」
 目の前が弾け飛んだあと、疲れ果てて額を落とすとマットを汚す精液が見えた。ぽたぽたと、それも二人分、滴り落ちては吸い込まれていく。この上で前転する奴のことを考えたら気の毒になった。何か目印ないかな。ちゃんと覚えとかなきゃ。
 「同時?」
 「……じゃな」
 直後に扉の向こうでブザーが鳴り響いた。歓声が響いて、決着がついたと知る。テニスでもバスケでも、ひとつの試合が終わったら必ず勝者と敗者が存在する。それはこの世に散らばるありとあらゆるゲームの定めだった。
 
 
 体育倉庫でセックスといえば、中高生の間に成し遂げたいことランキング上位に入るかもしれないが、実際は全然いいもんじゃない。埃臭くてカビ臭くて汗臭い。おまけに男二人分の精液。最悪だ。
 「ブンちゃんガム食わん?」
 服を整えるのも面倒で跳び箱にもたれ掛かってぼんやりしていると、仁王がよくあるタイプの板ガムを差し出してきた。
 「いらね。どうせまたくだんねぇオモチャだろぃ」
 仁王はどこから見つけてきたのかわからないガラクタをたくさん持っている。パッチンガムもそのひとつで、ガムを取り出そうとしたらネズミ捕りよろしく指が挟まれてしまう仕組みだ。けっこう痛い。
 差し出された仁王の指先からはズラされた一枚のガムが顔を覗かせていて、パッケージは掌で隠されている。こんなことばかりに仁王は器用さを発揮するから手に負えない。
 「ほーう? なら俺が食うぜよ」
 楽しそうに目を細めた仁王は手の中から一枚のガムを取り出し、平然と包みを剥がした。
 「待ってタンマ! 食うから!」
 慌てて伸ばした手は空を切って、咀嚼を始めた仁王がニヤリと笑った。あらゆる臭気にまみれた空間にほんのりと甘い香りが漂うものだから、ひどく遣る瀬なくなる。
 「……お前さあ、本物なら本物って言えよ」
 「俺を信じんブンちゃんが悪いじゃろ」
 「普段から信じさせない仁王が悪い」
 どうやら俺は仁王のペテン被害ランキング堂々の一位らしいけれど、俺だってまったく警戒していないわけではない。仁王の狡いところは、おおよそ七割程度は本当にガムをくれるところだ。それなのに俺がパッチンガムに引っかかった数しか公言しないものだから、まるで俺が馬鹿だって触れ回られているみたいだ。いつだったかそのことに文句を言えば、「それがペテンぜよ」ってしたり顔で言われた。ムカついた。
 「もういいよ。お前には何も期待してないから」
 「すまんて。機嫌直して」
 肩を掴まれ、覗き込んできたかと思えば突き放す暇もなくキスされた。自分のキスで人の機嫌が直ると思えるなんてとんだ傲慢だ。わざとらしいいやらしさで絡まってくる舌が、どうでもいいや、って気にさせるのは認めてもいいけれど。
 「ふっ……ん、」
 解放したばかりの熱がまた高まりそうになる。さすがにもう一回ってわけにはいかないだろう。はっきりとした時間はわからないけれど、もうすぐ三時間目が終わりを告げるはずだ。
 扉の向こうは静かで、おっかない体育教師の声だけが低く反響していた。誰かがボールを片付ける前にここから出なきゃなって、特に危機感も持たずに考えた。そういう方法に関しては、仁王に任せておけばまあ間違いは無いだろう。
 仁王のタイミングでキスが終わったとき、名残惜しさを埋めるように、舌の上には甘いガムが乗っていた。
 「惚れたじゃろ?」
 「全っ然」
 残ったガムを味わいながら、冷ややかさを意識して仁王を睨んだ。お前なんて誰が好きになるんだよって、心の底から届くように。
 
 二人で授業サボってセックスして、時間ギリギリまで惜しむようにキスをする俺たちは、けれど決して付き合っているわけじゃない。これはゲームだ。ルールがあって、きっといつかは勝負がつく。最後の笛が鳴ったとき、勝利の女神が微笑みかけているのは俺か仁王か。これは、ゲームだ。

 ルールその一、惚れたら負け。
 
 それは、仁王が三年になってから通算五人目の彼女をフッた、秋の初めのことだった。
 「また別れたのか?」
 俺は朝登校するなり正面切って仁王に言った。別れ際に限っての話ではあるけれど、仁王の女事情は実にわかりやすかった。仁王はひとつの恋が終わったとき、毎回きっちり頬を赤く腫らしてくる。
 「またって言うんやめてくれん?」
 「いやー、いつもながら見事だな」
 その日も仁王の頬にはくっきりと手形がついていて、元々低血圧で朝の機嫌が悪い仁王のテンションは最悪だった。痛そうだなってつつこうとする俺を睨む瞳は冷ややかで、そのうちなおざりに振り払われたから俺は大人しく手を降ろした。
 「仁王ってなんでそんなに別れるのヘタなの?」
 「もう会わんって言っただけぜよ」
 「じゃあなんで殴られんだよ」
 「知らん。信じてたのに裏切るなんてひどい! って言うとった」
 不機嫌な割にはご丁寧に声真似をしてくれたけれど、俺は仁王の彼女、もとい元カノを知らないから少しも評価ができなかった。
 「仁王のこと信じる奴なんているんだな」
 「そりゃあ、全ての詐欺は信用から始まるきに」
 「ならテメーは詐欺師失格だろぃ」
 「女なんて目ぇ見て話聞いてうんうん頷いてりゃあ勝手に落ちるけぇの」
 うわあ。声に出して引いた。いやわからないでもないけれど、それにしたって。
 「ただしイケメンに限る?」
 あまりに雑な攻略法に茶々を入れると、仁王はこっくりと頷いた。しれっと自分がイケメンだって認めてんじゃねえっつの。
 「ブンちゃんイケメンじゃき使ってみんしゃい。一発ぜよ」
 「やだよ、めんどくせぇ」
 女の話は長くて空虚だから苦手だ。そんな苦行を遂げてまで彼女が欲しいとも思わない。腹減ったって連呼していればクラスの女子がお菓子を分けてくれるから、俺にはそれで十分だった。
 「それで、なんで別れたんだよ」
 「私とテニス、どっちが大事?」
 誰にもわからないモノマネで仁王は言った。
 「あー、そっち系」
 「なして女って付き合った瞬間めんどくさくなるんじゃろな」
 遠い目をして嘯く仁王はそれなりに傷ついているように見えた。だからって少しも同情なんて感じなかった。見えるだけで大して心を痛めてるわけでもないって知ってるから。
 「お前に惚れる奴の気がしれねえわ。俺なら絶対惚れないね」
 「ほんに絶対?」
 「絶対」
 「じゃあ勝負する?」
 「あ?」
 聞き返すと仁王は口角をニヤリと上げた。悪いこと考えているときの顔だった。
 「簡単なゲームぜよ。恋人ごっこして、惚れたら負け」
 「恋人ごっこ? 俺と仁王で?」
 続けた問いに満面の笑みが返ってくる。まるでこの世の胡散臭さをまるっと凝縮したような笑顔だった。何言ってんだこいつ、馬鹿じゃねえの。確かそんな風に思った。
 「なんもメリットねえじゃん。やだよ」
 「自信ないんか?」
 「自信しかねぇよ」
 「どうだかのう。有言実行タイプと思っとったのに、敵前逃亡か」
 そう言われると言葉に詰まった。誰が逃げてるだって?
 「……やってやろうじゃん」
 気がつくとそう答えていた。安かったとは思う。それでも、嘲るような仁王の表情は無視できなかった。詐欺師としての手腕がどれほどのものかは知れないが、仁王は少なくとも人の神経を逆撫でする方法だけは嫌という程心得ていた。
 「俺が勝ったらガム一年分な」
 「なら俺が勝ったらゴム一年分で」
 「やだ、仁王くんサイテー」
 そんな軽口叩きながら、そのときの俺は何一つ深く考えてはいなかった。それがちょうど、ひと月ほど前の話だった。

 セックスして減った腹は四時間目の早弁で満たした。そしたら当然昼飯がなくなるわけで、俺はチャイムが鳴った瞬間に購買へと走った。
 両手に戦利品をぶら下げて渡り廊下を歩いていたら、今日がとてもいい天気だってことに気付いた。まだ冬が来る前の空は抜けるほど高くて、陽射しは穏やかで、渡り廊下の淵に並ぶ花壇は優しい色に彩られていた。きっと、昼寝でもすれば気持ちがいいだろう。俺でそう思うのだから、仁王なら午後の授業には出て来ないかもしれない。そういう天気だった。
 それで、いっそスキップでもしてやろうかなって思い始めた頃だ。花壇の向こうでごそごそと動く影を見つけた。
 「幸村くん!」
 名前を呼んで駆け寄ると、綺麗に手入れされた花々の向こう側から幸村くんが顔を出した。今日も今日とてガーデニングに精を出していたらしい。
 「やあ、ブン太」
 幸村くんは立ち上がって、ふんわりと笑った。テニスコートでの厳しさが嘘みたいな優しさで、俺はどちらかといえばオフの幸村くんの方が好きだ。
 「どこか行ってたの?」
 「購買!」
 「お弁当忘れたのかい?」
 「いや、もう食っちまった」
 「授業中に?」
 「うん」
 「相変わらずだね」
 「幸村くんは? もう飯食った?」
 うん、と言って幸村くんは再び花壇の傍へ座り込んだ。俺もその隣にしゃがむ。近付いた花壇からはとてもいい匂いがした。幸村くんが帰ってきてから学校中の花壇は見違えるほどに息を吹き返した。まじ幸村くんてシシ神様なんじゃねえのって思うくらい。
 「真田たちと。体育サボったんだって?」
 同じくらいの高さから届いた流し目に、ぎくりと体が強張った。
 「……怒ってた?」
 「うん。我々と合同だと知っておきながらいい度胸だ! って」
 幸村くんが楽しそうにそう言ったから、怒っているのは真田だけかと俺は半分だけほっとした。そういえば、真っ最中に真田や柳生が入って来たらどうなっていたのだろう。想像しただけで恐ろしくて、俺はすぐに考えるのをやめた。
 「ブン太、バスケ好きじゃなかったっけ?」
 あ、てかやばい、幸村くん、怒ってはないけどすげぇ興味津々だ。なんとか話逸らせないかなってぐるぐると頭を回す。
 「まあそうだけど……真田が選んだの、テニスでよかったと思うよ」
 「どうして?」
 「だってネットあるし。バスケってなんもねぇじゃん。キエエエエ! つってボール取りに来られてみろよ、すっげぇ怖いから」
 「それがサボりの理由かな」
 「……まあそんなとこ」
 「嘘。何やってたの、二人で」
 自分の質問は絶対に忘れない。幸村くんはそういう奴だ。俺は苦笑するより他になかった。幸村くん相手なら何がなんでも隠さなきゃいけないわけじゃないし、それでちゃんと誤摩化されてくれるような幸村くんでもない。それでも、柔らかい日光を浴びて揺れる花々の前でする話でもないような気がしたのだ。
 案の定幸村くんは、それでもうわかったみたいな顔で、呆れた表情を浮かべた。
 「まだ続いてたんだ」
 幸村くんは俺たちの関係を知っている。たぶん幸村くんだけだと思う。他言無用なんてルールは無いにしても、そう言いふらすものでもないだろうと考えたのは俺も仁王も一緒だった。そうして秘密裡に行われるゲームは、けれど何故か幸村くんにはバレた。それについてはもう、幸村くんだから、で納得してしまった。他の何よりも説得力のある理由だった。
 「すぐに飽きると思ったんだけどな」
 「うん、俺も」
 「仁王の平均交際期間は二週間だ」
 「え?」
 「って、前に蓮二が言ってた」
 似てた? と言って幸村くんは笑った。全然似てなかった。申し訳ないけど、似せようとしてたことにすら気付かなかった。
 「確かにそんなもんかも。もう一ヶ月以上経つし、そろそろ飽きんじゃねえかな」
 そう言いながら、飽きられたらちょっと寂しいかも、なんて思う。恋人ごっこを始めようと言われたあの日からほとんど毎日一緒にいるし、ヤることもヤってるし、それが急になくなるんだからそう思うのも仕方がないだろう。
 「それはわからないよ」
 俺の逡巡に気付いているのかいないのか、幸村くんはそう言って首を傾げた。
 「なんで?」
 「ブン太がまだ仁王のものになってないからね。仁王は、片思い症候群だから」
 「片思い症候群?」
 聞き慣れない言葉を鸚鵡返しすると、幸村くんは、そう、と言ってまた花へと愛おしそうな目線を投げた。
 「手に入れるまでが花で、自分のものになったら途端に興味を失ってしまう。絶対に幸せになれない、可哀想なタイプだね」
 「……初めて聞いたんだけど。そんなビョーキ」
 「そりゃそうさ、俺が作ったんだから」
 言われてみれば確かに仁王はその通りかもしれない。駆け引きとかスリルとか、そういうものが好きだと言って憚らなくて、普遍的な幸せなんかには見向きもしない。だからこんなゲームを言い出すのだろう。恋愛の楽しいところだけを切り取るみたいにして、勝負が着いたらそれで終わりだ。
 「幸村くんはどっちが勝つと思う?」
 俺はどうなんだろう。このゲームに、何か意味を感じているんだろうか。煽られてノせられただけだから大して考えちゃいなかった。
 「さあね。心の中じゃどっちも負けてたりして」
 「え……」
 「まあ、考えてみれば、惚れてなきゃ掘らせたりしないよね」
 綺麗に笑ってさらりとそんなことを口にするものだから、俺は呆気にとられてしまった。頼むから掘らせるとか言わないで幸村くん。二の句を告げない俺をどう捉えたのか、幸村くんは図星? と首を傾げて笑った。
 「……違うって。俺が負けるわけねぇだろぃ?」
 あ、間違えた、惚れるわけないって言いたかったのに。慌てて訂正しようとしたら、幸村くんが俺の方を見て小さく「あ」と言った。
 「なに?」
 「ブン太、葉っぱついてる」
 「まじ? 取って取って」
 「目、閉じてて」
 さっきまでの会話なんてすっかりと忘れ、言われるままに目を閉じればふわりとした感覚が前髪を掠めた。身を乗り出した幸村くんに遮られた日溜まりが、そのまま乗り移ったみたいな。それで、その感覚が遠退いた頃、フフ、と笑い声が降った。なんだろうと思って目を開くと、幸村くんは俺じゃない、どこか遠いところを見て笑っていた。
 「どしたの?」
 視線を戻した幸村くんは、なんでもないよ、と言って、指先から葉っぱを落とした。きっと俺の髪についていたやつだろう。
 「勝てるおまじない、かけといたから」
 「おまじない?」
 「俺はブン太の味方だよ」
 そう言った幸村くんは少し悪戯めいた笑顔を浮かべていた。ああ、何か悪いこと考えてるときの顔だな、って思ったけど、それが何かはわからなかった。
 そのとき腹の虫が鳴った。空腹はいつでも最優先だ。俺は購買で買い込んだ食料のことを思い出し、手を振ってそのまま幸村くんと別れた。
 
 教室へ戻ると仁王は独りぼっちで窓際の席に座っていた。頬杖をついて、つまらなさそうに。こいつほんと友達いねえよなってしみじみ思って、可哀想になったから一目散に駆け寄ってやった。
 「なんか面白いもんでもあった?」
 覗き込んで笑いかけると、頬杖を崩さないまま、ちらりと見上げた仁王はそのまま窓の外へ視線を戻した。無視かよ、おいこら。
 「おーい、仁王くん?」
 襟足に伸びた銀の尻尾をつまんで引っ張る。指先に軋む銀髪は、それはそれは最悪な手触りをしていて、こいつきっと将来禿げるんだろうなって他人事のように思う。
 「もしかして昼飯待っててくれた? ごめんな?」
 「違う。うざい」
 ぶっきらぼうにそう呟かれても俺は仁王に絡むのをやめなかった。仁王は本当に一人になりたいとき、少しも取り合わないでさっさとどこかへ消える。そうしないってことは、構ってほしいってことだと俺は思っている。
 「なー仁王、飯食おうぜ?」
 「……なにしとったん」
 やがて仁王はぼそりと呟いた。
 「は? なにが?」
 「幸村」
 そう零れた声はほとんど拗ねた口調だった。幸村くん? 不思議に思って窓の外を見た。それで合点がいった、あの花壇はここから丸見えだってわけだ。
 「別に? たまたま会って、話してただけだけど」
 「そんだけ?」
 「そんだけだよ」
 どこか腑に落ちない表情で再び視線を逸らす仁王に、何だよ、と問い直す。ちょっと面倒くさい。
 「……してるように見えたけえ」
 「え?」
 「キス。しとらんかった?」
 「は?」
 俺と、幸村くんが、キス? 何言ってんだこいつって思いながら、頭上で響いた幸村くんの笑い声を思い出した。もしかして、幸村くんは仁王が見てることに気付いていたんだろうか。
 そういえば、仁王は俺がジャッカルに甘えていようが赤也とじゃれていようがひとつも気にかけないのに、幸村くんだけにはやたら敏感だ。その違いがなんなのかはわからない。幸村くんだけが俺たちのゲームを知っているからかもしれないし、何においても幸村くんに勝ったことが一度もないからかもしれないし、俺が幸村くんに惚れてるとでも思っているからかもしれない。あるいはその全てかもしれない。
 「もしかしてヤキモチ?」
 「ちゃうわ」
 いずれにせよ仁王が何か勘違いを起こしているのは間違いなくて、でもだからって俺は無理に否定したりなんてしない。その方が面白いから。別に幸村くんとの間にやましいことなんてひとつもないけれど、ゲームを有利に進めるカードは大切に取っておかなきゃいけないだろう?
 「ルールその二」
 不貞腐れて少しもこっちを見ようとしない仁王の目の前に、俺は二本の指を突きつけた。
 「……浮気は自由」
 「だろぃ?」
 掲げた二本の指をピースサインに変えてウインクかまして、そうすると仁王は苦虫を噛み潰したような顔でそのまま突っ伏してしまった。なんだよお前、面白いな。
 そのルールを定めたのは仁王だ。その方が絶対面白くなるからって含みのある笑みを浮かべていた、あれはこういうことだったのかと合点がいく。こんな仁王なんてそうそう見られるもんじゃないから、幸村くんのおまじないはきっと効果覿面だったんだろう。満足した俺は待ちわびていただろう購買の袋に手を突っ込んだ。

 「うまそー!」
 「甘そー……」
 放課後、通学路から少し外れた喫茶店。目当てのジャンボパフェが運ばれてきて俺のテンションは一気に上がった。絶対食ってやるって、朝のローカル番組で一目見た瞬間に決めたやつ。仁王の分と合わせて二つ、きめ細かに泡立てられ、大胆に積み上げられたクリームが暖色の明かりを受けて光っているように見える。唾液が溢れる。
 「いただきます!」
 部活を引退した放課後は内部進学の三年生にとって潰す暇しかない。ゲームを始めてからというもの、気怠い午後の授業が終わったら二人連れ立って教室を後にするのが俺と仁王の日常になっていた。そのまま直帰することもあるし、今日みたいに寄り道することもある。
 「うめえ! やっぱあの番組に外れはねぇな!」
 減るのが惜しくてでも食べたくて、その狭間で揺れる心はいっそ恋なんじゃないかって思う。やっぱりこれ以上に俺を幸せにしてくれる存在なんてありはしない。駆け引きも何もなくただ与えてくれる、そんなものを俺は他に知らない。
 「甘い」
 一方仁王は、吐き捨てるようにそう言って、クリームを二度掬っただけのパフェを丸ごとこっちへ押しやった。
 「え、なに? 食っていいの?」
 「いらん。よう食えるなこんなもん」
 それはいつものお決まりの台詞だった。何の義務感か知らないけれど、俺が行きたいと言えば仁王は自分好みでない場所へも勝手についてくる。それが面白くて、仁王の嫌がりそうな寄り道を探すのは一種の趣味になってきたようにも思う。
 「……じゃあ遠慮なく」
 文句つけながら俺の行きたいところについてくる仁王は、文句つけながら俺の好きなものを頼む。そもそも、俺を引っ掛けるためだけに甘いフーセンガムを買い込んでいる仁王が、本当に好きなのは辛いミントガムだってのも知っている。勝手にやってることだから好きにすればいいとは思うけど、嬉しかったり、ちょっとは申し訳ないなとも思ったり、それなりに複雑だ。
 けれど、頬杖ついて、自分の頼んだパフェを口へ運ぶ俺を見る表情が、どこか満足気に見えるのは気のせいだろうか。
 「そんなんで惚れると思うなよ」
 「え?」
 「なんでもねえよ」
 俺の胃袋に入るってわかりきってる苦手な甘味を、性懲りもなく頼むのはなんでだって聞いたらこいつはなんて言うんだろうな。はぐらかされて終わるんだろうけど。
 
 喫茶店を出て、行く宛も決めずにぶらぶらと二人で歩いた。帰る気になれないのは満腹で体が重いせいだって言い聞かせて、明日すればいいようなどうでもいい話をしながら。
 「あ、そうだ、今度東京に行きたい店あんだよ」
 「東京? また雑誌か何かか?」
 「氷帝のジロくんが教えてくれたとこ」
 「んじゃそいつと行ってくりゃええじゃろ」
 「それがさ、氷帝の奴ら今みんなイギリスの跡部んちで合宿してんだって」
 「どうでもええけどそれ以上太らんで。乗られたら潰れそうぜよ」
 「うるせえよ」
 じゃれる強さで裏拳かまして、そしたらそのまま事故のように手を繋がれた。体温の低い指先が絡まって、それで、なんでか無性にセックスしたくなった。昼間ヤったばっかなのに狂ってるなと思う。だけど制服でホテルになんで入れないし、家には家族がいる。
 俺の手を引いて少し前を歩く仁王は、一体何を考えているのだろう。仁王は詐欺師だ。演技こそ人生みたいな奴だ。だから、俺に見せてくれるもの全部、本当の仁王じゃない可能性は存分にある。だってこれはゲームだし。嫉妬もわかりにくい優しさも全部カードの内なのかなって、そこまで考えついたら急に悲しくなった。
 俺は絡まる指先に力を込めて立ち止まった。俺を視界から外していたのだろう仁王はすぐに気付くことなく、体ががくんと揺れた。それから、怪訝そうに振り返った。こういうふとした瞬間だけはきっと詐欺じゃないはずだって根拠もなく思う。
 「どしたん」
 例えば、今仁王の目の中には俺しか居ないってことは揺るぎない事実なわけで、だったらそれは素直に喜んでいいんじゃねえのってガラにもないことを思うわけだ。馬鹿みてぇ。こんなはずじゃなかったのに。
 「……プリン食べたい」
 なんか堪らなくなって、俺はそう呟いた。
 「まだ食うんか」
 「惚れたって言えよ」
 仁王は、少しだけ目を見開いて、意味を正しく理解したらしかった。冗談交じりの戦利品を仁王も覚えていたらしい。
 「……言わんよ、絶対」
 小さく低く、そう言って、仁王はふいと視線を落とした。
 馬鹿だなあ。それで誤摩化してるつもりなのかよ、詐欺師さんよ。そこは言わないんじゃなくて惚れてないって言わなきゃ。それじゃあ惚れたって言ってるようなもんだろぃ?
 「ブンちゃんこそ意地張っとらんで正直になりんしゃい」
 「バーカ、俺は絶対負けねぇんだよ」
 だけど俺だって惚れてないとは言わない。自分たちで作ったルールに雁字搦めになって言葉を飲み下すのに必死だなんて、それで、このもどかしさが堪らなく煽ってくるなんて、本当に馬鹿げた話だ。そういうことを、俺も仁王もわかりきった上でゲームを続けている。勝負がついたら何もかも終わっちまうから。とんだ茶番だ。
 「なあ、仁王、俺たちって、もしかして馬鹿?」
 「今更じゃろ、そんなん」
 ルールその三、惚れたら絶交。これがミソなんだよな。一緒にいたけりゃゲームを続けるしか道がない。下らないペテンにかけられたもんだって、気付いたときには遅かった。

2014.3.31