立海(というか仁王くん)と四天(というかちとくら)の違い
このところ尊敬するLaynの向さんと色んなお話をさせて頂いているのですけれども(いつもありがとうございます!)、その中で二次創作の書き方ってどうしているのか、というお話があったんですね。それで自分の書き方というものを振り返ってみて、立海と四天で全然違っているなあと気付きまして。
テニス創作を始めてある程度の方向性が決まってきてからずっとそうなんですけれども、頭の中と手の動きが立海と四天で常に逆なんですよね。特にCP萌えという観点で考えたとき、絶対的に脳内を占めているのはいつでもちとくらだったりします。けれど普段空き時間を見つけてはたらたら書いているのは大抵仁王くんなんです。この違いって何なんだろう、と考えてみました。
立海(まあ仁王くん関連ですね)では、会話文なり地の文なりふと書きたい文章が浮かんで、じゃあこの子達って何でこうなっているんだろう?とかこれからどうなるんだろう?ってある程度理性的に頭で考えて話を組み立てています。立海にはスタンスのしっかりしたキャラが揃っていて、考察が楽しくて仕方ないんですよね。私の二次創作の傾向として、そのときハマっている概念だとか思想だとかをキャラに載せるというものがあって、そういうことが立海ではすごくやりやすい。書きたいことが書けるんです。だから書く割合としては立海がものすごく多い。仁王くんが多いのは、純粋に仁王くんが好きだということもありますが、周囲の人々の仁王くん考察を考えることが好きというのも大きいです。『TALKING TO THE MOON』なんてその極みなんですが、自分で自分のことを詐欺師とか言っちゃう子のことをどう捉えているんだろう?って妄想するだけで楽しい。彼らの駆け引きとか妄想してはゾクゾクする感じですね。尻尾は掴ませんぜよが信条の仁王くんの尻尾を掴んでやろうという活動が立海妄想なわけです。それから色んな人を思い通りに操ってきた(と思われる)仁王くんが一筋縄ではいかない立海のチームメイト相手に四苦八苦したり、それまで持ち得なかった情を感じたりする過程とかを考えることも好きです。いずれにせよ正体を掴ませたがらない仁王くんの人間臭い部分を炙り出すのが最終目標なんだと思います。仁王くんには貞操観念ゆるゆるであって欲しいという謎の願望さえなければ別にBLでなくてもいいのが立海です。
対して四天(というかちとくら)は、萌えが滾って滾って勢いだけで書くことが多いです。「こんなちとくら可愛い!」という漠然としたシチュエーション起点のお話。だから『津軽心中』みたいにわけのわからない方向に飛んだりする。いや、あれはいつか書き直したいんですが。。ちとくらって、いくらROMではずっとBLが好きだったといっても今までにない萌え方なんです。つまり隣に立ってるだけで何か滾ってしまう、という萌え。じゃあヴィジュアル萌えなのかというとそれだけでは勿論なくて、自由人な転校生と真面目な部長とか、天才と秀才とか、期限が決まっているところとか、ワケありの過去とか、ありとあらゆる要素が萌えでしかないんですね。これも向さんとのお話の中で挙がったことなんですが、東京事変の『遭難』がすごく似合う。出遭ってしまったんですね、彼らは。ずっと自己をコントロールしてきた二人が制御不能に陥ってあたふたしている感じが最高に可愛くて、別れの曲を聴く度に重ねて涙して、よくわからないけれども私自身が何か恋をしている感覚があります。笑 千歳と白石って友人だとどこまでも理性的で踏み込まない感覚があるので、彼らには是非BLであって欲しい。
つまり、頭で萌えるのが立海で、心で萌えるのがちとくらなわけです。これはどちらが上とかでなくて、全く別物なんだろうなあと。どちらか一方ならすぐに行き詰まって何かを書き続けることはできないと思うんです。理性と本能のバランスって大事ですよね、って話(え、そうだったの?)。
立海と四天を学校単位で捉えても「負けはいけない」と「勝ったもん勝ち」の表面上似ているようで内実は全然似ていないところを比較するのも楽しいんですけれども、長くなるのでまた考えをまとめて書こうと思います。
とにかく、どっちも大好きです!