立海三強のちぐはぐさについて
昔[こんな記事]を書いたことがあってですね。頭のどこかにずっとこびりついていたジョークなんですけど、立海三強に当てはめてみると面白いんじゃないかな、と。
まず断っておきたいのが、ナチス的の解釈についてです。昔の記事では何をどう思ったか「ナルシスト」と結論付けていましたが、それはやっぱり違うかな、と。というか文脈によって変わってもいいと思います。ネットで代入されているものをざっと見渡すと、政治家だったり○○推進派だったり体育会的だったり色々です。結局のところ、知的と誠実さを両立させることは難しくて、もし両立させられるような人間がいれば衝動や激情に身を任せられなくなる、能動的になれなくなる、というところに本質があるんじゃないかと今では思っています。
で、この「ナチス的」という部分、「立海的」を当てはめてもいけると思うんですね。
以前、毛利先輩を「立海らしくない」と書いたんですが、そもそも立海らしさって何よ?という部分から考えなければなりません。立海大附属は勝利に対してものすごくストイックであり、天衣無縫について解説する南次郎さんの言葉を借りれば「楽しむためのテニスがいつしか勝つためのテニスに変わっていた」状態の最も強い学校といえます。勝てばさらに楽しいから勝ちたいと思っていたはずなのに、目的と手段が逆転してしまった状態ですね。「勝たなければ意味がない」が立海的思想だとしましょう。
という前提を踏まえて立海三強を当てはめると、
知的で立海的なのが幸村(誠実じゃない)
誠実で立海的なのが真田(知的じゃない)
知的で誠実なのが柳(立海的じゃない)
かなと。あくまで個人的見解ですが。
まず幸村と真田の対比ですが、真田vs手塚戦およびリョーマが記憶を失った際、幸村が真田の行動にかけたふたつの言葉から二人の思想は食い違っていることがわかります。手塚ファントムを「雷」で正面から打ち破りたかった真田に「林」を使わせ、リョーマが「雷」を使ってきたときに「見せたんだ」と咎めるような視線を送る。真向勝負での勝利にこだわる真田に対し、幸村は勝利のためなら手段を選ばないところがありますよね。二人とも「勝たなければ意味がない」の立海的思想にはどっぷり漬かっていますが、勝利に対する姿勢としては真田は誠実であり、幸村はある程度不誠実でも構わない。で、どちらが知的かといえばやっぱり幸村です。この知的というのは頭の良し悪しではなく、勝利という目的に対する態度の部分で、です。真田が幸村の言葉に従ったり、リョーマの件で目を合わせられなかったりするのは、幸村が合理的であると頭ではわかっているからだと思うんです。でもやはり真田はそういう勝ち方は好きじゃない。あくまで誠実であろうとする。行動=表現型において知的になりきれないわけですね。
じゃあ柳は、というと。
彼を考察する取っ掛かりはいくつかあると思うんですが、このテーマで考えるならばなぜ赤也とペアマッチで組んだのが柳だったのか、が一番だと思います。手塚や跡部が次期部長と組んで部長の何たるかを教えようとしていたのに対し、幸村と真田はそんなことに目も向けません。三連覇という固執がなくなっても貪欲に勝利への執念を燃やします。そんな中で柳は、赤也を追い詰めた上で赤也が更に高みを目指せるよう棄権し、あまつさえ「勝利の為に必要だと思っていたが精神に悪影響を及ぼすことだった」と白石に悪魔化を抑えるよう頼みます。こういうところが彼の知的さであり誠実さだと考えます。赤也の悪魔化を立海勝利への手段として選んだという部分は立海的であるかもしれませんが、その時点では赤也への悪影響に思い及んでいなかったわけで、全国決勝のダブルスで赤也の暴走を止めようとしたのもその可能性にいち早く気付き何とかしようとした結果だったのではないかと。(結局仁王が目覚めさせてしまうんですけれどもね!仁王くんは間違いなく知的で立海的ですよ)
そして二つ目の取っ掛かりが、関東決勝で敗北のあと真田に言った言葉です。柳が真田に制裁を加えてくれと言った理由は、「精市との約束を無にしてしまった」ことと「他の部員に示しがつかない」ことでした。「勝てなかったから」ではないんですよね。無論幸村との約束というのは「俺たちは無敗でお前を待つ」であるので、間接的には敗北が理由とも言えるのですが、柳にとっては敗北そのものよりも約束を守れなかったことの方が重大なわけです。つまり、柳にとって勝利は手段のままなんですよ。約束や規範を重んじるところに柳の本質があって、個人として勝利に妄執しているわけじゃない。
これらの考察にvs乾を使わないのは意図的です。柳にとって乾は特別な存在であり、普遍的な態度ではないと考えるからです。乾戦も活用するならば、「あまり失望させるな」とか「自分のプレイスタイルを捨てた時点で〜」とか、テニスに勝利以外の楽しみを見出す柳、というのも描写されているので、五感を奪って相手をテニスのできない状態に追い込む幸村との比較はもっと簡単になるんですけれどもね。
まあそんなわけで、三強ってけっこうちぐはぐだよなあと思うんです。
柳をテキストで言及する際、私はよく「傍観者」という単語を使います。前述したような幸村と真田の食い違いって、何も全国決勝で初めて露呈したものではなかったと思うんです。これまでに何回もあって、でも柳は恐らくそこに口を挟まない。それは彼があらゆることを客観視してしまうからだと思います。柳は幸村と真田のことが好きだし、二人が立海の入学式で語っていた「俺たちの代では三連覇しよう」に乗っかるわけですが、それ自体は柳自身の野望ではない。彼らがそれを叶えたいというならば知恵を貸す、だから『参謀』なんだと思います。
そして柳は二人の感情的な衝突には口を挟まないけれど、潤滑油にはなれる。知的に勝利の可能性を高めることもできるし、誠実に勝利を語ることもできる。だから幸村と真田は破綻することなく「勝たなければ意味がない」を共有し強い絆を持つことができる。それを見ることが柳の幸せであり目的なんじゃないかなあ、と思うわけです。で、そうすればそうするほど勝つこと以外の部分に自分がテニスをする意味を見出し続けてしまい、立海的でなくなっていく、と。
こういう考えをベースにBL抜きな三強とか書いてみたいんですが、難しいなあ。